巨人内海の西武移籍は前例のない衝撃的な人的補償

11年10月、横浜戦で、9回裏にサヨナラ満塁本塁打を放った長野(左)に抱きつく内海

衝撃的な人的補償となった。西武から巨人にFA移籍した炭谷銀仁朗捕手(31)の人的補償として、内海哲也投手(36)が西武へ移籍することが20日、発表された。通算133勝で2年連続最多勝にも輝くなど名門のエースにも上りつめた左腕が、なぜプロテクトから外れ、移籍することになったのか-。巨人担当キャップの広重竜太郎記者が、背景と今後の意義を解く。

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過去の歴史で江藤、工藤ら実績者が人的補償で移籍した例はある。だが133勝を誇り、6度のリーグ優勝と2度の日本一に貢献したほどの生え抜きが、FA獲得の代償として移籍した例はない。

功労者は現在の力を問わず、プロテクトすべき、という意見もある。この日、涙を浮かべて球団事務所であいさつしたという内海も、巨人一筋で現役をまっとうしたかっただろう。

チームは岩隈らベテランも獲得した一方で若手の台頭も切望する。次世代を担う高田、大江はプロテクトする必要がある。かつて人的補償となった若手の一岡が広島移籍後に大成長した“教訓”もあり、内海を外した苦渋の判断は理解できる。

実績とともに投手リーダーとして人望も厚かった内海の功績は比類ない。ユニホームを脱げば、巨人の中心的指導者として歩むことになるだろう。そう考えれば、西武移籍はプライスレスな経験になる。「山賊打線」の異名通り、巨人にはない野性味が残るチームだ。投手陣は榎田の32歳が最年長で、36歳の内海がまとめ役を求められることは自然。ゼロからの統率の中に新たな学びがあるはずだ。

内海は「将来的にジャイアンツに帰ってこられるように、ジャイアンツの紳士たれという部分をライオンズで発揮できればよいと思います。一回りも二回りも成長して帰って来られたら」と思いをコメントにした。石井球団社長も「いつの日か、再び戻ってきてくれることを期待しています」と将来の復帰に触れた。移籍する選手には、異例の談話となった。

衝撃的ではあったが、球団は想定していた事態で、私は「送り出した」と捉える。球界は移籍にまだ保守的な部分が多い。だが世界的にもプロスポーツ界は開放的な潮流にある。内海が西武にもたらし、内海が去った巨人に生まれるもの。有形無形の財産となるはず。巨人にとっては「さらば内海」ではなく「また会おう、内海」となる。【広重竜太郎】

◆内海哲也(うつみ・てつや)1982年(昭57)4月29日生まれ、京都府出身。敦賀気比から00年ドラフトでオリックスの1位指名を受けるも、巨人入りを希望して入団拒否。東京ガスを経て、03年ドラフトの自由獲得枠で巨人入団。07年最多奪三振、11年から2年連続で最多勝獲得。12年はベストナインと、交流戦、日本シリーズでMVP。通算133勝は巨人の左腕で歴代2位。09、13年WBC日本代表。18年は推定年俸1億円。186センチ、95キロ。左投げ左打ち。

◆人的補償 FA宣言選手が所属球団の年俸ランク10位以内に入っていれば、補償が発生する。補償は金銭または金銭+人的の2通りあり、人的補償はFA選手獲得球団が任意に定めた28人(プロテクト選手)と外国人選手、直近ドラフト獲得選手を除く名簿から1人獲得できる。人的補償が他球団と重複した場合、獲得球団と同一リーグの球団を優先する。

◆主な人的補償選手 内海は今季が15年目。プロ入り10年以上の生え抜き選手が人的補償になったのは、06年吉武真太郎(13年目=ソフトバンク→巨人)に次いで2人目。07年セーブ王の馬原孝浩(ソフトバンク)が9年目の12年に寺原の人的補償になっているが、タイトル経験がある生え抜きの10年以上は内海が初めてになる。