昨夏甲子園4強 天理復活の裏に仰木イズム/パ伝説

チームへの思いを語る天理・中村良二監督(撮影・前田充)

<復刻パ・リーグ伝説>

近鉄黄金期の申し子たちが、高校野球の名門、天理(奈良)を指導している。元近鉄の中村良二監督(50)と山崎慎太郎投手コーチ(52)は、中村監督の天理大監督就任後にコンビを組んで8年。大学では13年全日本大学選手権で14年ぶりに春の全国勝利を挙げ、天理では昨夏甲子園で27年ぶりに4強。名門復活を全国に知らしめた。近鉄時代は89年のリーグ制覇をともに経験。血となり肉となった「仰木イズム」で、きょうも高校生と向き合う。【取材・構成=堀まどか】

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近鉄時代から慕った“お兄ちゃん”は、引退後も大事なパートナーとなった。

中村 大学の監督になったときに、大学生レベルで投手を教えるレベルが自分の中でわかっていたので、山崎さんにお願いしてみようと思った。僕が(14年に)高校異動後も高校、大学と両方見ていただいて、今現在は高校一本にしてもらえてるんです。

山崎 伝えることの難しさはあります。大学生は大人に近いところに行ってるから持ってるものがありますが、高校生はそれがない状況で来ることの方が多い。基礎的、体力的なことを同時にやらなくちゃいけない。なかなか思った感じに来なかったりで。

それでも中村の信頼は、揺らがない。

中村 生徒が野球を続けるまでのスパンで考えて、取り組みの計画を立ててくれてるんじゃないか、とすごく感じる。高校野球で結果を出せたら一番いいけど、やったことが将来に役立つ指導をしてくれているように僕は感じています。

昨夏、天理は90年以来の甲子園4強に進んだ。

中村 3年の右のエースと2年の左腕が、奈良大会の準決勝、決勝で素晴らしいものを出してくれた。それが自信になって、甲子園に行ったら見たことのないような投球を2人ともし始めて。(根底は)山崎さんがプログラムした投球、投手メニューです。彼らは僕らを、僕らも彼らを信じて、お互いの気持ちの中で野球の試合をしていた結果が昨年の結果でした。

山崎 そこまで自信持って投げてる姿って、あまり見たことがなかった。甲子園は選手を育ててくれるという話はよく聞くけど、強くなってってるなあって思いました。いいもの見させてもらいました。

高校時代の2年半で、伝えたいものは何か。

山崎 安定して試合を作れる投手を作りたい。1つ1つのボールをしっかり投げきれるように。それができれば、ピンチで支えになる。絶対にストライク取れる球は必ず作ってほしい。

中村 人として大切な部分がある。ただ野球教えて甲子園に行けたらいい、という感覚では1日も教えたことはないです。

山崎がプロ4年目、中村が2年目の88年、近鉄は球史に残る「10・19」を演じた。翌年に勝率2厘差の中に2位オリックス、3位西武がひしめく激戦を制し、リーグ制覇。山崎は先発の一角をつかみ、中村は代打から1軍への道を切り開いていたころだった。

山崎 あれだけ劇的なことはたぶん、一生味わわれへんと思います。89年は最後の最後、負けたら終わりの状態が2週間くらい続いて。先発投手の中で毎日、爆弾を渡していってるみたいな感じでした。だれかオレを楽にしてくれ~って。でも、だれも楽にはしてくれなかった。

当時の近鉄は一致団結より個々がぶつかり合うようなチームだった。

山崎 それが最後の最後は、みんなが1つのところを向いている。いいおじさんたちが目標に向かって入り込んでる姿って、ちょっと異質なテンションがある。それをまさか2年も続けてやるとは思わなかったので。あの2年間は一生忘れられない宝物だろうし、あれ以上のプレッシャーはそれ以来ありませんでした。

リーグ3連覇の広島の強さは、チーム全員が同じ方向を向ける力と言われる。

中村 近鉄はどちらかというと、好きなことをやってる人たちが集まってる。ただ大事な試合になったときには、同じ方向向いて固まれる。これって選手より、それをまとめる監督じゃないかな。仰木監督、そして中西太ヘッドコーチ。普段の何でもない1日を無駄にせず、監督はいろんな選手といろんなことをしていたんだろうなと思います。

人を理解し、変化をくみ取り、それに対処して戦う集団を作る。それが仰木彬だった。

中村 あのときの野球は、僕にとったら一番充実していた。充実させてもらえるのって、指導者がそういう空気を作るんです。そうでなければ、息苦しい野球になってしまうんです。

山崎 僕は怒られてばかりだったけど、その後に頑張らせるものを監督は作ってた。何かが絶対にあった。ここで頑張れへんかったら、絶対に危ないよな、という空気作って緊張感を持たせていた。乗せられていたかもしれないけど、やる気にさせるものってすごくあった気がします。

技術の伝達だけで、すぐれた集団は生まれない。プロとして歩き始めたころに、2人は名将から人への向き合い方を学んでいた。(敬称略)

◆10・19とは 1988年(昭63)10月19日に川崎球場で行われたロッテ対近鉄のダブルヘッダーを指す。先に全日程を終了していた西武に対し、近鉄は連勝すれば優勝だった。1戦目は9回に代打梨田の決勝打で4-3で勝ったが、2戦目は延長10回、4-4で引き分けて優勝を逃した。当時は延長戦の際、4時間を超えた場合はそのイニングをもって終了で10回裏ロッテ攻撃中にタイムオーバー。優勝の可能性が消滅した。この悔しさを糧に、近鉄は翌89年にリーグ優勝を果たした。

◆中村良二(なかむら・りょうじ)1968年(昭43)6月19日、福岡県生まれ。天理で86年夏に主将兼主砲として全国制覇。同年ドラフト2位で近鉄入団。阪神に移籍した97年限りで引退。プロ通算は41試合で打率9分8厘、4打点。引退後は会社員をしながら少年野球の監督を務め、08年8月に天理大監督に就任。14年から天理コーチを務め、15年秋に監督に就任した。

◆山崎慎太郎(やまさき・しんたろう)1966年(昭41)5月19日、和歌山県生まれ。新宮から84年ドラフト3位で近鉄入団。87年に1軍初勝利を挙げ、88年には13勝を挙げて先発の一角に定着した。97年オフにダイエーにFA移籍も、故障などで2年で2勝に終わり、00年に広島にテスト入団。その後オリックスを経て02年に引退。通算成績は339試合で87勝92敗9セーブ。