ソフトバンク石川ひょろひょろから10年の成長物語

王貞治ミュージアムに展示された自身の写真を指さす石川柊太

10年前はプロ野球選手になれるとは思わなかった…。ソフトバンク石川柊太投手(27)が、日刊スポーツの新春インタビューで、昔話を織り交ぜながら、今季への思いを語った。13年育成ドラフト1位、背番号「138」から、チームに欠かせない投手になるまでには、多くのドラマがあった。【取材、構成=石橋隆雄】

石川は中学までは軟式でプレーしていた。高校は都立の総合工科。「ひょろひょろに痩せていた、メガネ君でしたね。高校の時はダメダメでしたね」。最速は128キロ。昨年自己最速の156キロを計測したとは思えない球速だった。高2の秋には大事な試合の前に遠投で肩を痛めて先発できなかったこともあった。

「3年春の大会では国士舘とベスト8の試合でした。神宮第2で試合した時も肩が痛くて、試合途中から右翼に入ったんですが、守る時にサングラスをかけるように言われて。でも、僕はメガネなのでその上からつけることはできなかった。案の定、真上にあった太陽と飛球が重なって…。見えないって叫んだのを今でも覚えています。それまで0対0だったのに、その落球から7点取られてコールド負け…。今も仲間で語り継がれる大落球ですよ」。今はコンタクトを入れた目で笑いながら振り返った。

「足もめちゃくちゃ遅かった。甲子園にも行ってないし、それでもプロにいけるのは運がよかった」。創価大のセレクションでは、落選しそうだったが、佐藤康弘投手コーチがキャッチボールの軌道を見て推薦。合格をつかんだ。「1学年上に小川さん(現ヤクルト)もいましたし。大学で坂道ダッシュを繰り返し、足も速くなりました」。大学1年から試行錯誤し、トルネード投法となり、最速は149キロにアップ。リーグ戦登板は3年秋、初勝利は4年春と、ここでも遅咲きだった。

13年育成ドラフト1位でソフトバンクに入団も、肩、肘などの故障続きで2年間で2軍戦登板0。リハビリ生活が長かった。2年目が終わったオフ、石川はインターネットの掲示板2ちゃんねるで心に刺さる言葉を見つけた。

15年12月、自身のツイッターに記している。「1時間後、1日後、1年後、10年後にはきっとあの時、やっとけばよかったとやり直したいと思ってるんだろう。今やり直せよ。未来を。1時間後、1日後、1年後、10年後から戻ってきたんだよ今」。今もこの言葉が石川の支えになっている。「名言集にあったんです。考え方がおもしろい。どれだけ未来を見ているかということ。今が大事」。この時期が飛躍の転機となった。

後がない石川に創価大野球部の1学年先輩が声をかけてくれた。先輩は元アメフト選手の河口正史さん(45)が経営するジム「JPEC SHIROKANE」で、当時スタッフをしていた。日本人には動かしにくいといわれる「仙腸関節」を動かすという理論を取り入れたトレーニングだった。

契約金もなく当時の年俸は400万円。それでも、多額の自己投資を行い、毎日、1カ月の会費が50万円前後かかる白金のジムに通い詰めた。ストレッチと1日2時間のハードトレーニング。生き残るためにオフ返上で約2カ月鍛え続けたことが、3年目での支配下登録、4年目からの飛躍につながった。

石川は「仙腸関節は正直、あまり動かせていないが、体の軸から力が出るイメージ。軸からボールを投げるイメージがついた」と話す。17年1月に千賀に誘われ鴻江トレーナーの合宿に参加したことはよく知られているが、その1年前に出会ったジムの存在も大きかった。今オフは千賀と米国に行き、カブスのダルビッシュと5日間一緒にトレーニングを行った。「一番印象に残ったのは、ダルビッシュさんはものすごく野球のことを考えていた。超一流とはこういう人なんだというのを感じました」。学ぶ意欲が石川を大きくしている。

石川がアイドルグループ「ももいろクローバーZ」を好きになったのは創価大2年のころだった。今オフも年末に行われたライブには駆けつけた。

「僕よりももクロは年下ですけど、自分のエンターテイナーとしての基盤になっています。自分はももクロが好きでいる自分でずっといたい。好きになったのは大学のころ。何が大事かを思い出させてくれる」。活躍したことで、メンバーと会う機会もあり、認識もされた。「考えられないですけど。昔からしたら。ももクロの何にひかれたのか。素直な彼女たちを見ることによって、人間らしさを忘れないように」。ライブに足を運び、DVDを見る。一ファンとしての姿は変わらない。

自身のツイッターでも、ももクロについて書くことが多い。「育成の時はフォロワーは3000だったのに、今は8万」。ツイッターにはファンから多くのコメントが寄せられる。「ファン目線が分かりますからね」。

日本シリーズで痛めた右肘の回復も順調。入団時400万円だった年俸は、今季6000万円まで上がった。「信じられない。やった分だけ返ってくる。それだけ夢がある。やりがいのある仕事。先発でも中継ぎでも、全力でやるだけです」。どこにでもいそうなメガネ球児が、常勝ソフトバンクに欠かせない投手に成長した。今年の石川柊太はどんなドラマを見せてくれるだろうか。

◆石川柊太(いしかわ・しゅうた)1991年(平3)12月27日、東京都生まれ。立会小2年から野球を始める。「元芝ハヤブサ」に入団。鈴ケ森中 野球部と「水神ファイターズ」かけもち。いずれも軟式。都立総合工科から創価大。ソフトバンクから育成1位で指名。16年7月に支配下登録。185センチ、88キロ。右投げ右打ち。