阪神藤原オーナー初語り エキサイティングな猛虎に

チームについて熱く語る阪神の藤原オーナー(撮影・加藤哉)

<新春インタビュー:後編>

阪神藤原崇起新オーナー(66=電鉄本社会長)が日刊スポーツの新春インタビューに応じた。2回連載の後編は18年までの金本体制3年間を振り返りつつ、矢野燿大監督(50)が率いる今季の戦いに期待を寄せた。猛虎復活、打倒巨人への思いから、鉄道マンとして歩んだ人生から得たリーダー哲学までをたっぷり語った。【取材・構成=寺尾博和編集委員、酒井俊作阪神担当キャップ】

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-昨年10月のオーナー交代内定会見で「野武士」という理想像を示しました

藤原オーナー 昔、阪神は巨人に対して粗削りだけど向かっていくイメージでした。巨人は紳士的で、阪神は猛虎という印象です。個性があって。そうあってほしいです。なぜか分からないですが、私のなかで猛虎といえば、遠井吾郎さんが頭に残っています。昔からなら吉田義男さんもおられますし、村山実さんも活躍された。バッキーさんもイメージが強いですね。

-打倒巨人の思いはありますか

藤原オーナー もちろんありますよ、伝統の一戦というのは。やはり長年のライバルです。星野仙一さんもそうでした。いろいろ言っておられた。伝統あるチームは、いままで切磋琢磨(せっさたくま)して、お互いを磨くためにあいつらには負けるなという思いでやってきていますからね。

-野球の原体験はいつでしょうか

藤原オーナー 私は明石出身。高校野球は父に連れられて行きましたが、ナイターは行ったことはなかった。中日が明石でキャンプをしたのは覚えています。高校のときに中日に星野さんが入ってきました。明石球場の外にブルペンがあって、風よけのむしろを立てて、練習していたのを覚えていますね。大きい方だなと。細かったですけどね。

-いろんなタイプの監督がいます。経営者としてどんなリーダー像がありますか

藤原オーナー みんなと一緒になって具体的な話をしながら引っ張っていくリーダーですね。私はずっと現場です。ずっと運輸の制服を着て車両、タクシー、鉄道などの現場でした。私が入社したとき、駅で正確に停車できず、わずかですが前に進んでしまうケースがありました。「運転士がブレーキをかけるのが遅かった」とか「いや、違う。早めにかけてもこうなる」と。みんなで何度も検証しましたね。当時は公害のばい煙が多く出て、油混じりの雨が降って線路に付着しました。油が鉄と鉄の間に入ると滑ってしまう。こういうことが分かったんです。それなら、雨の日はもっと早くブレーキをかけようと。現場と本社が一緒に考えたから納得できます。具体的に話し合うことが大事です。監督なので、具体的に指示することも勝っていく道筋になると思います。

-金本体制から矢野新体制へ移行しました

藤原オーナー 監督が代わると新しい要素が加わって「革新」が起こったり、選手の考え方が変わったりします。金本監督は育成を大事にされました。選手の体は見違えるように変わりましたね。基礎を築いていただいたのを無駄にしないのは大事なことです。そこから発展的に変えていく。チームの目標は優勝ですからね。選手がどういうふうに殻を突き破るか。矢野監督にとって、大きな仕事になると思います。

-20年東京五輪が終われば、25年に万博もあります。関西を盛り上げる意味で今年に期待したいです

藤原オーナー まず勝つのは当たり前です。選手の皆さんに伝えたいのは「do one’s best」です。エキサイティングじゃないと周囲は認めてくれない。高校野球を見れば、とことんベストを尽くしています。だから私が選手の皆さんに言いたいのは「いま出せる全力でプレーをする。これが一番」だと。全力なら、お客さんも背中を押してくれる。チーム内でシナジーが起こってくるし、信頼関係もできてくる。ベストを尽くすということ。パッションですよ、情熱の源です。とことんやり抜いて周りに「よくやった」と言ってもらったら次に力が出るというのが私の考え方。その繰り返しがチームの強化につながると信じています。

◆藤原崇起(ふじわら・たかおき)1952年(昭27)2月23日生まれ。大阪府立大から75年に阪神電鉄入社。常務取締役などを経て、11年4月に代表取締役社長、阪神タイガース取締役、同年6月に阪急阪神ホールディングス取締役に就任した。17年4月から阪神電鉄の代表取締役会長、同6月から阪急阪神ホールディングス代表取締役を務め、同12月から球団オーナー代行者。昨年12月1日付でオーナーに就任した。