イチロー父「最後に出てきて良かった」/一問一答

息子イチローの現役引退について、涙を浮かべ語る鈴木宣之さん(撮影・伊東大介)

現役引退を表明したマリナーズ・イチロー外野手の父で「チチロー」こと鈴木宣之さん(76)が23日、愛知県豊山町の自宅前で会見した。一問一答は以下の通り。

-引退した率直な思い

現場で見てました。第一に感じたのは、脳裏に浮かんできたのは少年時代。子供時代のこと。あの小さい子が45歳のプロ野球選手として、メジャーリーガーとしてよくここまでやってきたことが、涙がわき上がるというか…。涙っていろいろあると思う。うれし涙とか悲し涙とか、これは周囲をはばからず抑えることができなかった。

-引退はどのタイミングで聞いたか

私も大体予想していた。これは引退の花道になるんではないかと。東京ドームのこの2連戦が。初めて耳にしたのは、試合前に弓子さんが私のところまできてくれた。お父さん「実は…」ということで確かな答えとして聞きました。

-どのような言葉で

付け足すような言葉はなく。「今日の試合が終わったら引退します」と聞きました。

-その言葉を聞いたときは

昨日、別便で2人が夕方帰った。(弓子夫人)から帰るときにメールが入ってきたんですよ。「お父さん、お母さんも元気でやってください」と。メールありますけど。

(メールを披露して)「お父さん、これからイチロー君とシアトルにいきます。昨夜は最高の忘れられない日になったと言っていました。お父さん、お母さんもお体に気をつけてください」とショートメールですね。私の答えですね。返事を出さないといけない。老師の言葉。外には言えないこと。イチローと弓子さんにしか言えないこと。「功なり名遂げて、身退くは天の道 とあります。これからも自然体の気持ちを崩さないように。将来ある子たちのために尽力するように」と。

-イチロー本人とは会ったか

イチローと会う時間はなかった。イチローも探してたみたいだけど。私もしっかり目に焼き付けていました。冥土の土産に。

-ゲーム中の前後では

イチローが日本に来る前にメールを入れた。これが引退の花道かも分からないので。1年間ブランクあったので、頑張ってほしいと。「亀の甲より年の功」。現役年長者、最年長者といってもいいくらい。現役年長者としての思いを今までの豊富な経験と知識。開幕2試合で生かすチャンスだぞ、頑張れよ、と。メールが返ってきました。やはり子供ですね。簡単ですね。「ありがとうございます」。(笑いながら)そんなもんです。そんなんで十分わかるでしょ。

-幼少時代から思い出が印象的と話していたが

真っ先にお話ししなきゃいけなかったのは、プロに入ってからの28年間皆さんファンの方、いろんな方に支えられた、指導された。まずはその方にお礼申し上げないといけない。それと、28年間だけじゃない。その前があるんですよ、イチローには。その前に皆さん助けてくれた人がものすごく多いんですよ。親として子供のためにやって当たり前なんです。やって当然。親以外にイチローが熱中できるような時間を与えてくれるのは誰だったか。その方たち、少年野球時代とか中学も高校もいろんな方々が指導を。その方々にお礼申し上げたい。私自身を夢中にさせてくれた、お付き合いさせてくれた人たちがいるんですね。心から感謝いたします。この場を借りて、お礼申し上げます。

-メールでのやりとりはあったが、次回イチロー本人と会ったときはどんな言葉をかけるか

今まで培ってきたことを生かす人生を続けてほしい。自分の子どもながら、上に立つような人間じゃないという意味で育ててきた。上に立つ人間じゃなくても指導はできる。将来のある子ども、夢のある子どもたちのために、力になってほしい。自分がこれまで身につけてきたものを、子どもさんに発揮してほしい。夢のある世界に、小さいお子さんがそういう世界に入り込んでいってほしい。イチローを育てるにあたってモノマネから入っている。人のマネから、いろんな道に入っていく。最後には自分自身の形を作り出しなさい、というのが私の考え方。その通りのイチローだった。例えば篠塚選手のマネしたり、小松投手のマネしたり、田尾選手のマネしたりと。そういうモノマネから入って、イチロー独自の形を作った。イチローが今度指導者になったときに、子どもたちのために、夢のある教え方をしてもらいたい。

-イチローは会見で監督にはなれないと話した。ご指導がつながっている

少年野球の監督をしていて、イチローのチームの監督だった。いつもお風呂に一緒に入ってた。お風呂に入っているときにイチローに聞いた。キャプテンやるか、って聞いたら、イヤだ、イヤだと言われた。副キャプテンならと。一番上に立つと責任がありすぎて、自由に行動ができないと言う。控えめです。監督になるとクビになるし。

-父としてイチローにどのようなことをやってほしいか

自分の構想がでかすぎるんですが。イチローがプロ野球に入って、まあまあできる選手になったら、少年野球の全国大会を豊山町で開けたらと思っていた。そういう夢を持っていた。喜寿で77歳。まだ元気ですが、目の黒いうちに実現してもらえたら。そういう夢があります。

-イチロー杯があるが、全国的に

ぜひやってもらいたい。子どもというのは親孝行をしたくてもできない。親孝行したいときには親がいない。親孝行には、きりがない。ハタから見ると、イチロー君は親孝行してますね、と見られる。しかし、私は私なりに苦労がある。そんなぜいたくなこと言うなと言われるかもしれませんが。親孝行は親が生きているうちに。物とかお金じゃない。気持ちです。温かい気持ちが伝わればいい。それを何とか、気持ちが伝わるように、イチローから私に、そういう気持ちが伝わるようにしてもらいたい。少年野球の全国大会を二の次でもいいので、まず気持ちが伝わるようにしてほしいなと思います。

-まだまだ、これからも成長してほしい

そうです。親孝行と火の用心は、灰にならぬ前にやってほしいです。

-一緒に生活してほしいか

近くでなくてもいい。気持ちで故郷を大事にしてほしい。生まれ育ったところ、故郷があるから今がある。この気持ちをずっと忘れないでいてほしい。これが念願です。そばにいなくてもいい。どこにいてもいい。それが念願です。

-イチローに声をかけて

気持ち。自然体の気持ち。飾らなくてもいい。一隅を照らす人間になってほしい。私は照らし加減が足らない。

-最後のプレーを見て

1本ヒットを打ってほしかった。

-涙は

8回の守備から帰ってくるときです。メジャーの監督が、温情という形を見せてくれた。イチロー個人のために、全選手がベンチに並んでイチローを迎えてくれた。相手からも文句も出ない。人間味のある温情主義を垣間みせてくれた。見直した。日本人だけじゃない。やっぱり人間は一緒なんだ。あそこからワッと来た。

-どこから見ていた

バックネット裏の中間です。

-2試合とも

はい。

-試合が終わったあと、日本のファンの皆さんが声をかけた

最後に、試合終了後に、ずっと観衆の方が5分の4くらい残っていた。私も当然、何かある、絶対。あの空白の時間は30分以上あった。あの気持ちを私は忘れない。あの気持ちが最高に大事なところ。イチローの将来のために。イチローは出てきてくれて良かった。もしあのまま出てこなくて、アメリカに帰ってたら、今までの実績、積み上げていたものが、全部パーになる。私は感じていた。よく出てきてくれた。あれだけでうれしかった(涙声)。あれで出てこなかったら、イチローは終わりでしたよ。皆さんのおかげだと思っている。うれしかった。人間の人生なんて一瞬にして、信用が落ちる。積み上げるには時間がかかる。もし出てこなかったら、と心配していた。みなさんの気持ちが通じた。

-そのシーンをみてどうか

みなさんに、ファンに支えていただいて、頭が下がります。イチローも最後に90度の礼をしていた。あれがイチローの気持ちでした。