駒苫でマー君と準Vの本間篤史が久々公式戦に復帰

札幌倶楽部対TRANSYS 7回1死二塁、TRANSYSの本間が左前打を放つ(撮影・永野高輔)

17年限りで現役を引退していた元JR北海道クラブの本間篤史外野手(30)が21日、社会人野球札幌支部大会で、クラブチーム・TRANSYSの外野手兼打撃コーチとして、1年5カ月ぶりに公式戦に復帰した。1番左翼で先発出場し、2打数2安打1打点。復帰後初実戦が公式戦と、ぶっつけ本番だったが、全5打席で出塁し、チームを今季初勝利に導いた。

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野球人の血が騒いだ。2回1死二塁、1ボールからの2球目、外角の変化球を迷わず振り抜いた。初回の1打席目はストレートの四球。初スイングで適時中前打を放つと、中堅手が後逸した間に、二塁を蹴り三塁へ激走。「楽しかった。初スイングで、しっかり対応できた。感覚も気持ちも、まだ残っている」と手応えを口にした。7回にも左前打を放ち、この日2打数2安打、全打席出塁と最高の結果で、復帰戦を飾った。

背番号は生まれた月日から83。新たな野球人生のスタートだ。駒大苫小牧では05年夏の甲子園優勝、06年は主将兼4番として現米大リーグヤンキースの田中将大投手(30)とともに準優勝した。JR北海道クラブの最終年は打率4割6分、16打点。道ベストナインに輝きながら「20代で1回区切りをつけたかった」と17年限りで現役を退いた。昨年4月にはJR北海道を退社し、日高町富川の自動車部品店で働いていた。

昨夏、100回を記念した甲子園での「レジェンド始球式」に登板。06年夏の決勝戦で敗れた早実斎藤佑樹(現日本ハム)のトレードマーク、青ハンカチで汗をぬぐい、大観衆から拍手を浴びた。「あのとき、またこういう大舞台に立ちたいと思った」と火が付いた。引退直後から「もう1回野球をやるときは一緒に」と声をかけ続けてくれていた渡辺直樹監督(43)に思いを伝え昨年12月、コーチ兼任での加入が決まった。

仕事の関係で、全体練習参加は、土日と平日1日程度。練習量を補うため自宅付近の歩道を走り、暗闇の中で素振りを繰り返し、復帰戦に備えた。体重は引退時の98キロから92キロまで減量。経験豊富な新戦力の加入に渡辺監督は「チャンスメークも走者をかえす仕事もできる。性格も明るく雰囲気が一気に変わった」と喜んだ。

亜大では高校社会科の教員免許を取得しており「指導者の経験を積み将来、高校の監督で甲子園に」と言う。まずは目標である夏の全日本クラブ選手権出場を果たし、1歩ずつ夢をたぐり寄せる。【永野高輔】

◆本間篤史(ほんま・あつし)1988年(昭63)8月3日、余市町生まれ。余市沢町小4年で野球を始め、余市西中時代は余市シニアでプレー。駒大苫小牧では1年秋から背番号8を付け、05年夏の甲子園で優勝、06年夏は準優勝。亜大から11年にJR北海道入り。都市対抗5回、日本選手権4回出場。12、16、17年に道社会人ベストナイン。178センチ、92キロ。右投げ右打ち。