「由伸からはお疲れさんと…」巨人上原引退会見2

引退会見で涙する巨人上原(撮影・浅見桂子)

巨人の上原浩治投手(44)が20日、都内のホテルで会見をし、現役引退を表明した。

以下は会見内容。

-野球人生のグラフを作ると、引退がMAXと言っていた。今はどんな状態?

上原 悔しいですけど、自分が決めたことなので、今がMAXですね。

-どの点がMAX?

上原 21年間も野球生活ができたことですね。それが本当に感謝。自分と一緒にやってくれた選手、コーチ、監督、周りに感謝しての21年間だったので。野球にも感謝してますし、満足しています。

-ハイタッチを大事にしていた?

上原 あれはジャイアンツ来てからは沢村をどついてるだけだったんで。でも、それができなくなるのは寂しいですけどね。

-野球人生でうれしかった、苦しかったことは

上原 うれしかったのはそりゃあ、優勝した時ですから。日本では2002年のシーズンがすごくうれしかったですし、アメリカで言えばは2013年ですし。悔しかったのはアメリカに行って1年目、肘をケガして、野球が出来なくなると思ったことですね。あのケガした時は苦しかったですね。

-現役は缶ビールは1本までと決めていたが、明日からはどんな気持ち?

上原 どうなんでしょうね。ビール3本、4本飲んでも、大丈夫だなという気持ちになると思いますし、朝起きた時に肘が、肩が、ハム(ストリング)がとか、腰がとか、そういうのを気にしなくて良いんだなと思いますね。

-ここまで続けてこられた原動力は

それは負けたくないという気持ち、反骨心。それだけですね。現役中はですね。明日からはどうなるか分からないですけど。

-背番号19での引退。19への思いは

上原 去年もらってからですね、原さんが「もう1回頑張ろう」といっていただいて契約してくれて、智之が18に変えて、それで19番を空けてくれたという気持ちは本当に感謝しています。

-野球人生で支えになった言葉は

上原 直接言われたわけではないが、野村監督の本を読む中で、いっぱい良い言葉がありましたから、それを思い出しながらとか。桑田さん、工藤さんとすばらしい先輩に言葉をたくさんいただきましたし、村田さんからは我慢という言葉をいただきましたし。いろんな方から、いい言葉をいただいたなと思う。

-子どもたちへのメッセージ、アドバイスは

上原 野球を好きになってほしいなと。それだけですね。

-WBCの準決勝が印象的。里崎氏が野球人生で一番すごい球を投げていたと言上原 っていた。思い返すと。

今のサトの言葉はすごいうれしい気持ちと、あの時はみんな帰る準備をしていた。自分たちの力ではトーナメント上にいけない中で、アメリカが負けて、日本にチャンスが来た。予選も韓国に1回も勝っていなかったですけど、あの試合でみんな切り替えて、一丸となって、僕の中でも人生の中で3本に入る、ベスト3になるピッチングだったと思う。

-13年レッドソックス時代の監督に言われて印象に残っていること

上原 褒められている言葉というよりも、会見の中で、コージには第六感があると言ってもらって。何言ってんだろという感じですね(笑い)。それを今でも覚えてますね。

-配置転換を告げられた時は。受け入れられた要因は

上原 中継ぎになった時に、当時の監督からはっきりと先発で使わないと言われたんで。僕がアメリカに行ったのはメジャーで投げたいという気持ちだけだったので。AAAとかで投げたいという気持ち一切なかったので。素直に、中継ぎでメジャーに残れるならと、受け入れるのは簡単でしたね。

-将来、指導者になるのイメージは

上原 プロ野球選手に対しては全員がプロなんで、正直教えることはあまりないと思いますし。だったら、アマチュアで自分が教えた選手たちがプロに入っていくという、そういう子を育ててみたいとは思ってます。そこまで強くはないですけど。

-代名詞のように3球三振、テンポの良さが持ち味。それは意識した?

上原 よくそれは言われますけど、自分の中であまりテンポを速くしようとか、そういう意識をしたことは一切ないので。もしかしたら高校時代、大学時代とバッティングピッチャーをずっとやっていたので、そのリズムで試合でも投げていたのかもしれないですね。

-後輩へのメッセージ

上原 今年は本当に2軍選手とずっと過ごしてきたので、若い選手には今、2軍にいる人たちには1日でも早く1軍に上がってほしいと、そう思います。

-近くで見てきてくれた家族の存在は

上原 一番近いようで、一番遠かったですね。アメリカと日本だったので。迷惑かけたなと思います。約9年も単身になってしまいましたから。子育ても一切していないですし、嫁には本当に感謝しています。

-家族にはいつ引退を伝えた?

上原 いつって言うのは覚えていないんですけど、もう結構前からそろそろかなという話は言ってました。(最後は)1週間前くらいですかね。まぁ、お疲れさまという感じですね。奥さんからですね。子どもはお疲れさまとは言わなかったですね。子どもは半分アメリカ人入ってるので(笑い)、コングラッチュレーションといわれました(会場爆笑)。

-巨人という球団は、どういう球団だった?

上原 まず、巨人に戻ってくるということは正直考えていなかったので。そういう状況の自分を取ってくれた鹿取さん、由伸には感謝していますし、こういう場を設けていただいた球団には感謝してます。

-同年代の高橋由伸、松井稼頭央さんには何か伝えた?

上原 新聞に出る前に、2人には電話とLINEで伝えてました。由伸は「本当にお疲れさん」というのと、稼頭央は「最後までやれ」という風に言われましたね。「自分で決めたことだから」と返したら「お疲れさん」と言ってくれました。

 

午後4時26分会見終了。花束を渡されて、会場を後にした。