阪急山森のザ・キャッチは準備が呼んだ必然/パ伝説

ロッテ弘田澄男の打球をフェンスによじ登りスーパーキャッチを見せた阪急山森雅文(1981年9月16日撮影)

<復刻パ・リーグ伝説>

伝説の“ザ・キャッチ”はこうして生まれた。今回の「復刻! パ・リーグ伝説」は阪急、オリックスの名外野手として活躍した山森雅文さん(58=現JFE東日本コーチ)です。

山森さんは、81年のロッテ戦(西宮)で、ホームラン性の打球を、外野フェンス上に跳び乗って見事キャッチ。後に米野球殿堂入りした球史に残るプレーを見せました。伝説のプレーがどうやって生まれたのかを明かしてもらいました。【取材・構成 高垣誠】

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米クーパーズタウンにある野球殿堂で、今でも映像が見られる“世紀のホームランキャッチ”は、プロ入り3年目、阪急の若き外野手が実現させた。81年9月16日ロッテ戦(西宮)の1回、ロッテは1死から弘田澄男が打席に入り、先発・山田久志から左翼へ大飛球を放った。これを左翼手山森が追い掛け、跳び上がってフェンスの上に左足をかけ、グラブを伸ばして見事キャッチした。“軽業美技”と当時の日刊スポーツでも写真付きで報じている。

山森さん 打球を見て落ちる場所を予想して、勝負できるなと思ったんです。山田さんが投げたボールはカーブ。そして逆風。打球はそれほど切れないと判断しました。フェンスに足をかけて登ったら、少しずれていたので少し動いて飛んできた打球をつかみました。打球の滞空時間や打球の質、タイミングがよかったんでしょうね。

山森さん本人は練習通りにできたというくらいだったが「ベンチに帰ると拍手で迎えられるし、山田さんには握手されました」と笑う。翌日にはホームランを1本損した弘田から「オレは(本塁打を)数本しか打たないのに、捕りやがって」と恨み言を言われたという。翌日夕方のテレビのニュースで初めてVTRを見たが、すごいプレーをした自覚はなかった。野球殿堂入りしたと聞いた際には「なんですかそれ?」と聞き返したくらいだった。

このビッグプレーには2つの要素が必要だ。1つは飛球に対する判断力。打った瞬間、打球がどこへどんな風に飛び、どこに落ちるかを正確に予測しなければならない。

山森さん 大熊(忠義)コーチや福本(豊)さんに聞いたりしました。福本さんは打球が飛んだら、すぐに目を切って落下地点に走る。そこで振り向いたら打球が来ているんです。最初はびっくりしました。でも何度もノックを受け、練習を繰り返していると、どこにボールが落ちるかというピントが合ってくるんです。打球の音やその日の風を計算し、打者の傾向も頭に入れていたのでだいたいこの辺りに落ちるなと予測できるようになりました。あれで守備力はグンと上がりましたね。

もう1つはフェンスに登ること。打球を追いながらフェンスまでの距離を測り、スピードを落とさず予測した落下点に行き、西宮球場なら2・5メートルほどの高さがあったフェンスを一気に登らなくてはならない。

山森さん ほぼ毎日、練習していました。西宮だけでなく、藤井寺や川崎なんかでも。大熊コーチがフェンスぎりぎりの絶妙なところへノックを打つんです。フェンスを何度も登り、ときにはフェンスの上2~3センチの幅を何メートルか歩いたこともあります。向こう側に落ちたこともありますけどね(笑い)。遊びの延長みたいなものです。捕れればもうけものみたいな感じで。だんだん感覚的にフェンスまでの距離も分かってきます。あと4~5歩走ればフェンスだな、とか、アンツーカーのところを目安にしてあと何メートルとか。人工芝用のゴム底のスパイクを履いていたので、フェンスに引っかかって登りやすいんですよ。

こうした日々の準備に加えて、打球がフェンスぎりぎりに飛んで、かつフェンスに登れるだけの滞空時間があるなどの条件がそろう必要がある。

自ら再現したことがある。球団名がオリックスになっていた90年5月3日、グリーンスタジアム神戸(現ほっともっと神戸)での日本ハム戦の7回、デイエットの中堅左への打球をセンターから追い掛け、フェンスに登って捕った。

山森さん あの球場では練習していなかった。打球が飛び込む位置はこの辺だと予測して、風もあまり吹いておらず、いったん打球から目を切って走り、途中でもう1度見て、コースが合っていたのでフェンスに足をかけて上がり、立ったまま捕球しました。(打球がスタンドに)入ると思ったんですが、登ってみたらボールがあった感じです。

マツダスタジアムでも10年に赤松や天谷がホームランキャッチを披露している。フェンスが高く登れない球場も多いが、ZOZOマリンでは今季からホームランラグーンが設置されてフェンスが低くなるなど狙える球場もある。山森さんは「チャンスがあればチャレンジしてほしい。ファンが“めったにないプレーが見られた”という選手が出てほしいですね」と、後輩たちが球史に残る新たな“ホームランキャッチ”を見せてくれることを願っていた。

◆山森雅文(やまもり・まさふみ)1960年(昭35)11月26日、熊本県生まれ。熊本工から78年ドラフト4位で阪急入団。80年に1軍デビュー。守備の名手として知られ、86年にゴールデングラブ賞受賞。94年限りで引退後は日本ハム、オリックス、ロッテでコーチを歴任。ロッテではスカウトも務めた。今季から社会人野球JFE東日本のコーチ。千葉県在住。

○…山森さんは現在、社会人野球のJFE東日本でコーチを務めている。都市対抗大会の南関東予選を勝ち抜いて第1代表に決まり、本大会(7月13日開幕、東京ドーム)へ3年ぶり23回目の出場が決まっている。チームの同大会最高成績は準優勝で、悲願の優勝を目指す。山森さんは「せっかく出るのだから勝ちたいですね。若い選手が多いので、そういう経験をすればさらに強くなる」と期待している。