劇的弾の北川博敏氏、近鉄は人生変えた球団/パ伝説

近鉄対オリックス 9回裏近鉄無死満塁、近鉄のリーグ優勝を決める代打逆転満塁サヨナラ本塁打を放った北川博敏(2001年9月26日撮影)

<復刻パ・リーグ伝説>

近鉄バファローズが球団最後のリーグ優勝を飾った2001年9月26日、プロ野球史上初の劇弾を放ったのが北川博敏氏(47=ヤクルト2軍打撃コーチ)でした。

3点を追った9回裏。オリックスの守護神、大久保から代打逆転サヨナラ満塁本塁打。初の代打逆転サヨナラ弾による優勝を、近鉄ファンに贈りました。周囲の期待に応えられずに苦しんだ阪神時代があり、味わえた最高の瞬間、今はなき近鉄への思いを、アンパンマンの愛称で知られた北川コーチが語ります。【取材・構成=堀まどか】

    ◇    ◇    ◇

緊張感で金縛りだった体に、異変を感じた。優勝マジック1で迎えた01年9月26日、9回裏無死満塁。2球で追い込まれ、北川の体にスイッチが入った。

北川 打ちにいったときに、ボールだ! と思って止まったんです。際どかったんですけど、審判がそれを「ボール」と言ったときに、急に緊張感がなくなった。オレ、見えてるって勝手に暗示がかかって、その1球でゾーンに入って、力が全部下に落ちて。あかん、オレ、打てるわって。

異変は足元からも伝わってきた。

北川 スパイク履いてるのに、土をグワーッとかんでる自分がいるんです。何、この感覚!? って。オレ打てるわ、だけ思って打席に入って、次のスライダーを拾ってガーンと運んだんです。

ここ一番での代打で起用された01年。その日は7回に先発捕手の古久保健二に代わり、代打でいく予定だった。だがその回先頭打者だった川口憲史に反撃弾が出て、首脳陣から待ったがかかる。上がったテンションを下げるのに四苦八苦していたら、9回無死満塁で代打を告げられた。シーズン2度のサヨナラ打でファンから「サヨナラ男」と呼ばれ、2日前の西武戦でエース松坂大輔(現中日)から代打ソロも放った。「北川登場」に球場は盛り上がったが、本人は満塁の状況に弱り果てていた。

北川 併殺打がすごく多かったんです。こんな場面で併殺って最悪だな…と思ってたら真弓さんが来てくれて「思いきっていけ」って言われて。あっ、そっか、そんなに気負わなくていいんだってふうになれて。

打撃コーチの真弓明信の助言があり、打席で追い込まれてからの異変があり「打てる」の確信とともに北川はバットを振り抜いた。

北川 代打で名前が呼ばれたとき、大歓声が聞こえて。めっちゃ期待されてるって思って、すごくうれしかったんですよ。幸せやなあって。阪神のときに代打でいくときに「○○に代わりまして北川」ってアナウンスされたときに、スタンドからの「あ~」っていうのを聞いてるんで。そのときの寂しさ、惨めさも覚えているんで。期待されている喜びがありましたね。

阪神ファンを喜ばせることができない自分が、情けなかった。

北川 ドラフト2位で入って、成績を残せない。監督もコーチ陣も、こいつをなんとかしなきゃいけないって思ってくれていたと思うので、すごくいろいろアドバイスもいただいた。それをぼくも聞いて、どうですか? 出来てますか? 大丈夫ですかね? って、相手と試合できてなかった。結局自分を見つけられないまま、その場しのぎのスタイルを作っていたのが阪神時代でした。

トレード移籍した新天地では、腰を据えて野球に向き合うことができた。

北川 開幕して2週間ぐらいたったときに試合後、梨田監督から電話をいただいて。ヒットも出てないころだったから2軍に落とされるのかなって思いながら出たら「ベンチでもいいムードを作ってくれてる。確かに打ってほしいけど、成績だけで落としはしないから、とにかくチームのために頑張ってくれ」と言われて。それで自分の中に余裕が生まれたんです。

1本の電話が、9月26日につながっていた。

だが北川に、期待に応える喜びを教えてくれた球団は、今はない。歓喜の優勝から3年後、オリックスとの合併で近鉄バファローズは消滅した。合併騒動に揺れた04年のシーズン、ヒーローになったお立ち台で北川は泣いた。

北川 ファンに何て言ったらいいのか、わからなくなった。おれらもファンも苦しい思いをしてるのにって。言葉が出なくて、涙が出て、結局「こんな状態ですけど、応援して下さい」としか言えなかった。

アンパンマン似の丸い顔が、涙でくしゃくしゃになっていた。

北川 あの年、もう球団がなくなる最後の日だって夢を何回か見て。夢の中で泣いて泣いて目がさめて。そんな話をチームメートにしたら、大笑いされました。でも、ぼくにとったら近鉄っていうのは、野球をやる場所を与えてくれたし、自分はプロ野球選手なんだって感じられた球団だった。プロ野球人として、人生を変えてくれた球団だったんです。

04年の最終戦で、北川は近鉄最後の本塁打を打った。明けて05年、オリックス1号を打ったのも北川だった。(敬称略)

◆北川博敏(きたがわ・ひろとし)1972年(昭47)5月27日生まれ、兵庫県出身。大宮東(埼玉)から日大に進み、94年ドラフト2位で阪神に入団。01年に移籍した近鉄で代打逆転サヨナラ満塁弾で優勝を決めるなど、主力として活躍。04年の近鉄球団消滅に伴い、オリックス、楽天との分配ドラフトでオリックスへ。08年6月23日ヤクルト戦で史上14人目の全球団本塁打を記録した。12年に引退し、オリックス1軍打撃コーチなどを経て17年からヤクルト2軍打撃コーチに就任。通算1264試合、1076安打、102本塁打、536打点。現役時代は180センチ、95キロ。右投げ右打ち。