西武秋山主将が胸の内を語った/優勝手記

ロッテ対西武 パ・リーグ優勝を決め、ナインと喜ぶ西武の秋山(右上)(撮影・加藤諒)

山賊たちをけん引した西武秋山翔吾外野手(31)は、連覇の瞬間をどんな思いで迎えたのか。キャプテンマーク、自身の打撃、支え、次なる目標-。希代のヒットマンが、胸の内を語った。

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こんな形で優勝できるとは思わなかった。本当にうれしい。去年の追われる立場は苦しかったけど、追っかけながら最後突っ走った今年は、不思議な感覚ですね。チームが急激に成長しながら上がってきた。大きなけが人が出ることなく、フルパワーで戦い続けられたことが大きかった。

引退された(松井)稼頭央さんを含めて、(炭谷)銀さん、(菊池)雄星、浅村、4人いなくなった。序盤はその浅村に何度打たれて、お立ち台に立たれたことか(笑い)。「俺がいないと勝てない」って思われるのはしゃく。試合を重ねるにつれて、みんなが勝つことの難しさを感じながらも、勝つための判断ができるチームになったと思う。その穴を埋められたことはチームとして、スキル、勝負勘、余裕が生まれた結果だった。

最初に3番に入った僕が勝負強くしっかりやっていれば、ここまでやきもきすることはなかったかもしれない。去年の日米野球(11月)でつかんだものを、自分の引き出しにしようと思って、試していたことがあった。あの経験をシーズンに生かしたかった。数字を上げるために、必要なことだと感じていたから。でも数字がついてこなくて、5月からシンプルに絞った。そのタイミングで1番になったから、打順だけが結果に結びついたわけじゃない。ただ、クリーンアップを打てる選手がたくさんいることに感謝です。

個人として、これだけ気持ちの起伏が激しく、コントロールできなかったのは久しぶりだった。メットライフドームからの帰りの車で、自分が打てたときはラジオを聞いて帰るけど、悪いときは何も聞かない。落ち着かないメンタルで家に帰ることがいっぱいあった。そうすると、嫁さんは性格がさばさばしていて「いつまでウジウジしてるの」って。そう言われてようやく切り替えられる。いつもこのひと言で救われていた気がする。

一喜一憂の一喜はいくらでもした方がいい。今のチームは、チャンスで打ってかえしたら、ベンチに一体感が生まれる爆発力がある。今年の西武に大型連敗がなかったのも、その一喜があったからだと思う。一憂は、自分が勝手にやってますから。見せちゃいけないんだけど、出てたと思う。つくづく子どもだなって思いますよ。

今までは、あんまり人に話を聞いたりしないんですけど今年、柳田と話す機会があった。ライバルチームですけど、同い年であれだけ活躍している選手。どんなこと考えているのかなって興味があったから。チャンスで凡退の怖さがある中でも「打てなくてもしょうがねえじゃん」って言ってた。こういうメンタルだから、野球が楽しそうに見えるんだなって。最低限の仕事をしなきゃいけないと考えてやっていた自分にはそういう発想がなかった。でも「しょうがねえじゃん」を受け入れることは難しくて。それを少し受け入れたら、新しく見えてくるものもあるかもしれない。

キャプテンとしては正直、何もやっていない。浅村を辻発彦監督が指名してからの3年間は、おせっかいながら、一緒に協力してやってきたつもりだった。キャプテンマークがあろうがなかろうが、やってきたことがあった。キャプテンになったから変わったことは、特別何もなかったかもしれない。

去年ハワイへ優勝旅行にいったときのことが忘れられない。いつも支えてくれる裏方さんと、その家族も一緒に行けたことがうれしかった。祝勝会でも見たことないようないい顔をしていて。シーズン中は僕らより早くきて、遅く帰る人も多い。今年も連れて行きたいって気持ちが、夏頃からすごいモチベーションになっていました。

メジャーへの思いを口にしたこともあった。でも来年以降のことは、まだ考えられない。先の話よりも今は目の前のクライマックスシリーズを勝つこと。忘れ物を取りに行く。日本一に挑戦する権利をまずはとる。去年届かなかった日本シリーズに必ず出ることしか、今は考えられない。(西武外野手)

◆秋山翔吾(あきやま・しょうご)1988年(昭63)4月16日、神奈川県横須賀市生まれ。横浜創学館から八戸大を経て、10年ドラフト3位で西武入団。15年に216安打でシーズン最多安打記録を更新。同年にプロ野球最多タイの猛打賞27度、左打者歴代1位の31試合連続安打。17年首位打者、最多安打3度、ベストナイン3度、ゴールデングラブ賞5度。15年プレミア12、17年WBC日本代表。184センチ、85キロ。右投げ左打ち。今季推定年俸2億3490万円。