楽天今江が感謝「1つ終わってまた次の夢」一問一答

引退会見で涙を流し、声を詰まらせる楽天今江

楽天今江年晶内野手(36)が18日、仙台市内で引退会見を行った。

「まず始めに、このたび台風19号で被害にあわれた皆さまにお見舞いを申し上げます。そして、今なお不自由な生活をされている方々に1日でも早く普段の生活に戻っていただけるよう、お祈り申し上げます」と切り出し「18年間の現役生活にピリオドを打ち、引退することを発表します。応援してくださった方々には、本当に言葉では言い表せないくらい感謝しています。本当にありがとうございました」とあいさつした。

一問一答は以下の通り。

-引退会見を迎えられて

今江 まだ自分がユニホームを脱ぐ実感は全然湧いていない。今まで突っ走ってきた自分がいた。何となく肩の荷が下りたのかなという感覚もあります。まだまだ実感は湧かなくて、これから少しずつ湧いてくるんじゃないかなと思います。

-引退を決意した決め手

今江 今年のキャンプの出発前日に目の病気にかかってしまい、今年にかける気持ちはあったが、出だしでそういう形になってしまった。1日でも早く復帰しようと思っていたが、なかなかすぐに治る病気でもなく、少しずつリハビリをやってきて、5月くらいにやっと1軍に呼んでもらえるようになったんですけど、やっぱり目の状態にもいい時と悪い時と波があって、その中でも、今までの経験を生かしながら何とかやっていたんですけど、6月の末くらいにまたちょっと目の方がおかしくなった。それでも無理やりやっていたんですけど、いくら何でもこれはできないという状況になって、8月に監督に「プレーするのは厳しいです」とお話しさせてもらった。(その後2軍で)復帰して何とか戦力になりたいと思ってやっていたが、もうシーズンも佳境に入っていて、なかなか1軍にも呼んでもらえず、自分の中でもそういう(戦力として厳しい)立ち位置なのかなと感じていた。そんな時に球団から来季は選手ではなく、コーチでやってくれと言われて、もちろんすぐには決められなかった。目の状態はありましたけど、体は元気だったので。まだまだやりたいという気持ちが僕自身強かったし、これまで家族にも支えてもらってきて、何とか現役をやりたい気持ちはあったんですが、やっぱり目という、前が見えない病気にかかってしまって、これから来年、また目がどうなるか分からない、普段の生活にも影響するかもしれない。球団からも、ありがたいことに考える時間をいただいて、家族をはじめ、いろんな方に相談させていただいた。この目の病気は今年1年やってきて、来年1年、また違うチームでやるのは不安なところもあった。年齢のこともありますし。いろいろ考えて、引退しようと思いました。

-最初の報告は誰に

今江 まずは家族に報告しました。それからこの体に育ててくれた母親と父親ですね。母親はもう他界しているので、自分の心の中で報告をしました。家族もいろんな思いを持ちながら、もっと言いたいことはあったんだろうなとは思うんですけど、「本当にお疲れさま」と言ってくれました。

-現役生活を振り返って最も印象に残る場面

今江 18年間もプロ野球の世界でやらせてもらって、1つに絞るのが難しい。いろんな思い出がある。僕自身、2005年にレギュラーをつかむ年に、ボビー・バレンタインのもとでプレーさせてもらって、本当に楽しかったですし、プレーオフも制して日本一になって、たまたまMVPも取らせてもらって。そこは僕の中で大きな思い出です。日本シリーズの前にちょうど息子が生まれて、そこでMVPが取れたのはちょっと感慨深いものがあるなと思います。

-ロッテ時代を振り返って

今江 僕にとってロッテという球団は、僕を育ててくれた球団。ロッテがなかったら、今の自分もない。本当に感謝が尽きない。自分の故郷と思えるような、本当に思い入れのあるチームです。

-WBCでも活躍された

今江 あの大きな舞台で、素晴らしい選手たちがいる中でやれたのは、自分の野球人生の財産。韓国戦でエラーをして、負けてしまい、本当に日本に帰れないかもしれないと嫁さんに電話したのをすごく覚えている。今となっては、それもいい思い出なのかな。あとは本当に小さい頃から憧れだったイチローさんと一緒にプレーできて、本当によくしていただいて、キャンプ地近くの自宅に連れていっていただいたり、今もメールをさせてもらったり、WBCがなかったら、そんなことはなかったと思う。WBCという舞台に本当に感謝しています。

-楽天への思い

今江 僕も震災以降、ロッテ時代から福島の方に行かせてもらい、その中でFAの時、楽天さんから声をかけていただいて、これも何かの使命かなと、東北の皆さんと日本一になりたいと思って移籍したんですけど、ケガも多く、自分の力も出せず、チームに貢献できず申し訳ない気持ちでいっぱい。移籍してきて、ファンの皆さま、球団の皆さま、チームメートもそうですし、本当に温かく迎えていただいた。移籍してこの4年間、人間としても、野球人としてもすごくいい経験ができて、すごく楽しかった4年間です。

-野球をやっている息子さんにはどう伝えた

今江 息子も小さい頃から野球をしていて「一緒にプロの舞台でやれたらいいな」と話して、息子も頑張って、僕も頑張っていた。こういう結果になって、息子に報告しづらいというか、嫁さんには何となく自分でスッキリした気持ちで伝えられたんですけど…。プロ野球の選手って、休みの日に遊びに連れていったりとか、少年野球についていったりとか、父親として普通のことができないので、本当につらい思いをさせてしまった。息子はそれでも文句も言わず、ずっと僕のことを応援してくれていた。仙台に移籍して、なかなか会えないのに、嫁さんと2人、本当にいい子に育ってくれた。息子と2人で(プロの世界で一緒に)頑張ろうと言ってきたんですけど、僕が引退すると言った時、もう年頃なので「分かった」と言ってくれたんですけど。「お父さんの夢は1つ終わったから、また次の夢を見るから頑張れ」と言いました。息子には野球だけでなく、本当にいろんなことを頑張ってほしいと思っています。

-毎年福島の被災地に足を運んできた

今江 震災以降、毎年福島のいわき市に行かせてもらって、1人の野球選手として、何か皆さんに元気を出してもらいたい、何か励みにしてもらいたいと思っていくんですが、子どもたちはいつも元気な姿で僕と触れ合ってくれて、震災があって、いろんな思いがある中で、それを出さずに僕に「頑張って」と言ってくれる。いつも逆に励ましてもらっていた。毎年、いわきの少年野球チームは自分たちで毎年僕を応援に来てくれていた。もっと頑張らないといけないと思っていた。僕はいわきに行っていましたけど、東北(全体)の人たちにはたくさんの被害があった。僕も4年間、何とか少しでもと思って頑張ってやっていた。少しでも何かを感じてもらえたり、何かを思ってもらえれば良かったなと思います。

-ファンへメッセージ

今江 僕が今こうして(会見の場を設けて)引退を報告できるような選手になれたのも、たくさんの応援してくれる方たちの支えがあって「今江敏晃」というものがあると思っています。言葉では言い表せないくらい、感謝の気持ちでいっぱいです。本当にありがとうございました。