さらばマシソン!敬愛する阿部花束で巨人に別れ

巨人退団会見を終えたマシソン(右)はサプライズで登場した阿部と笑顔で握手(撮影・山崎安昭)

さらば、スコット鉄太朗-。巨人スコット・マシソン投手(35)が25日、都内・大手町の球団事務所で退団会見を行った。12年の来日から助っ人として8年間在籍、1軍通算421試合に登板。日本一を勝ち取った12年は、すでに引退している山口鉄也氏、西村健太朗氏とともに最強勝ちパターン「スコット鉄太朗」を形成した。巨人は“引退”するが、キャリアの最後はカナダ代表として11月のプレミア12に参戦し、20年東京五輪を目指す。

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マシソンが慣れ親しんだ巨人との別れを「引退」と表現した。区切りの会見のフィナーレは敬愛する阿部からのサプライズが待っていた。会見場を退室しようとドアを開くと花束を手にした阿部が立っていた。「これだけ長年やれたのも、日本でやれたのも、やっぱり阿部さんの存在が大きい。阿部さんがキャッチャーで受けてくれなかったら自分の成功はなかった」。身長191センチの助っ人が深々とお辞儀した。

12年からの3連覇を支えた最強ユニットを回想した。13年のリーグ優勝を決めた9月22日広島戦。1点リードの9回に山口氏、マシソン、西村氏の1人1殺リレーで締めくくった。「今もよく覚えている。これは失敗してはまずいなと。プレッシャーを感じた」。サプライズで山口氏、西村氏も球団事務所でマシソンを待ち受けていた。絶対勝利の方程式だった「スコット鉄太朗」のネーミングについては「最初はよく分からなかった」とやや困惑もしたが「認知していただいたのはありがたい。名前が人に知られるようになって生きてくるし、命が吹き込まれた」と懐かしんだ。

巨人は退団するが現役最後の「THE LAST RUN」を残す。11月のプレミア12にカナダ代表の一員として参戦。「侍ジャパンとの来週の練習試合も楽しみにしている。最終的な目標としてカナダ代表として東京五輪で投げるということ」と宣言した。20年8月。マシソンが愛した“TOKYO”で花道を飾る。【為田聡史】

○…阿部がマシソンとの別れを惜しんだ。「ベタなプロポーズみたいだな。サプライズをしてもらったからリターン」と花束を贈呈した。「ジャイアンツでずっと切磋琢磨(せっさたくま)して、何回も優勝を経験した。そういった仲間が去るのはさみしい。また、いずれ戻ってきて何かしらで携わってほしい。これからはファミリータイムと、リフレッシュのハンティングを楽しんでください」とねぎらった。

◆スコット鉄太朗 スコット・マシソン、山口鉄也、西村健太朗からなる球団史上最強の勝ちパターン。12年6月30日中日戦に3人の継投で勝利した際、当時巨人キャップの金子航記者が日刊スポーツ紙上で命名した。13年のリーグ優勝時にはテレビ出演した村田がMVPを問われ「スコット鉄太朗」とフリップに書き込み、テレビデビュー。同年の楽天との日本シリーズを実況したTBS初田啓介アナウンサーも3投手を「スコット鉄太朗」と紹介した。

◆巨人に長期在籍した外国人選手 ハワイ出身の与那嶺要の10年が最長。51年に来日した与那嶺は60年まで外野手として活躍し、61年に中日へ移籍。次いで55~62年宮本敏雄、06~13年林イー豪(10年途中まで育成)12~19年マシソンの8年が長く、84~90年クロマティ、96~02年趙成ミンは7年プレーした。ちなみに、マシソンの通算421試合登板は、外国人投手では郭源治(中日)496試合、シコースキー(西武)438試合、サファテ(ソフトバンク)427試合に次いで4位になる。