元オリックス吉川勝成氏は6店舗の経営者 感謝大事

04年のオリックス戦で吉川勝成氏(中央)は最後の打者を打ち取り中村紀洋とタッチする。右は的山哲也捕手

<ザ・インタビュー~元プロ野球選手たちのセカンドステージ>

かつてプロの世界で活躍した野球人にセカンドキャリアを聞く「ザ・インタビュー~元プロ野球選手たちのセカンドステージ」。今回は元近鉄、オリックス投手の吉川勝成氏(42)です。現在は大阪市内で焼き肉店、食パン専門店など6店舗を経営する吉川氏に事業運営について聞きました。【聞き手・安藤宏樹】

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-現役を引退されて1年後にスタートした焼き肉店「勝」(大阪市西区新町)は今年10月で10周年を迎えられたそうですね。今は食パン専門店も含めて6店舗を運営されているわけですが、セカンドキャリアとしての起業プランはいつごろからお考えだったのですか。

吉川氏 とにかく野球を辞めたら何かやりたいというのは漠然とあったのですが、焼き肉屋と決めたのは引退して数カ月後くらいです。たまたまありがたいことにドラフトにかかってプロになれましたけど、将来は経営者になりたいというのは早い段階、学生のころから決めていました。もちろん野球やりながら考える余裕などなかったのですが、30歳を超えたあたりから将来のプランを考えるようにはなっていました。引退したらだれに何を言われようが起業しようと考えていました。

-焼き肉店のスタートは順調だったのですか。

吉川氏 野球を辞めて1年間、私は経営の勉強を徹底してやり、当時の店長だった方には知り合いの店に何カ所か修業にいってもらいました。オープンしたてのころは元プロ野球選手の店という話題性もあり、いい形でスタートしたのですが、やはり2年目以降お客さんが減ってきたというか…。甘えもあったと思います。お客さんが入ってくれて当たり前という考えは大間違いということが分かったので、そこからはまず近隣の方から愛してもらおうとシフトチェンジしたのが大きな転機になったと思います。そういった中で、今は地域のお客さまと野球関係のお客さまなどバランスよくやらせてもらっていると思います。

-軌道に乗るまではさまざまなご苦労があった。

吉川氏 私自身が野球選手だったので最初は「自分がよければいい、打たれれば自分のせいだ」という考え方だったのですが、自分のためにというところから、スタッフのおかげだと思うようになりましたし、お客さんが少なくなったら運営の仕方が間違っているのかなと自分を責めるようになりました。今の店長は大学の野球部の同級生なので信頼できる関係ではあるのですが、それゆえにナアナアになってはいけないと思い、コミュニケーションをしっかり取るよう心がけています。また、どうしてもこの店をピックアップされると私にスポットが当たってしまうのですが、どうしたら従業員やスタッフの方にスポットを向けられるのかなど常々、考えています。

-起業第2弾として選ばれたのは食パン専門店でした。どんな理由があったのでしょうか。

吉川氏 もともとパンが好きで知り合いにパン職人がいたというのもありますが、次のステップというときにちょうど食パンブームが起きました。コンビニ店で高級食パンがブレークしたのを見て「これ、いけるんちゃうかな」というインスピレーションというか、直感もあったと思います。

-焼き肉店近くでスタートした食パン専門「成り松」は靫公園店(西区京町堀)、南船場店(中央区)と拡大し、18年6月から阪神百貨店梅田本店にも出店されています。直感はズバリ的中されたということでしょうか。

吉川氏 職人の味にもホレ込んでいたので何とか作ってほしいと半年くらい研究を重ね、これというところにたどりついたので食パン一本で勝負することにしました。14年に新町でスタートし、今は4店舗で販売させてもらっています。昨年あたりはかなりブームにもなり、ありがたいという面はありますが、我々としてはそれで終わらせたらアカン、勘違いしないように常に戒めています。焼き肉店をスタートさせたときの教訓もあり、常に謙虚な気持ちで仕事をしなければいけない。野球でもそうだと思いますが「うまくいっているときこそ気を引き締めないと」と自分にも言い聞かせています。

-野球という表現が出ましたので現役時代のことも聞かせてください。事業では焼き肉店の2年目に転機が訪れたとのことでしたが、現役時代に転機はあったのでしょうか。

吉川氏 プロに入ってから4年目までは1軍に上がったらすぐ2軍というのを繰り返していて、(自軍の)ベンチと戦っている状態が続いていました。今年アカンかったらもう終わり、と覚悟を決めた5年目に転機が訪れました。巨人とのオープン戦で清原さんと対戦させてもらい、ストレートで空振りの三振を取れたのです。これは本当に自信になりました。そのとき、打者と勝負することに徹するというか、学生時代にやっていた野球を思い出し、ラッキーなことに開幕2戦目で初勝利が転がってきて波に乗れたのかな、と思います

-04年シーズン。この年は50試合に登板され4勝をマーク。防御率2・82で自己最高の成績を残されています。しかし、この年にはオリックスとの合併問題が発生し、球団消滅。オリックスへの移籍を余儀なくされました。

吉川氏 初めて1軍にいたシーズンだったので、自分のことに必死で、合併がどうこうというのは人ごとのような面もあったのですが、最終戦で梨田監督が「みんなのつけている背番号は永久欠番だ」と言われたときにハッとしたというか、球団がなくなるということをドスーンと実感したことを覚えています。近鉄が消滅してしまったことはやはり寂しいです。面白い球団だったので。ただ、(現役を)9年間やらせていただいた近鉄さんにもオリックスさんにも感謝しかないです。

-焼き肉店の隣に肉重「かつ」もオープンされています。プロ野球引退後に別の人生を歩む際に注意すべきと思う点があれば教えてください。

吉川氏 私の場合はそれほどの選手ではなかったので変なプライドもなくスンナリ、事業の世界に入れたのかなと思います。プロ野球選手になれるということは本当にすごいことで今の現役選手も含めてみなさんリスペクトしています。みんなの憧れということで、そういう意識、誇りは持っていてもらいたいのですが、現役を辞めた後のことを考えると、いつまでもそれだけでご飯が食べられるわけではありません。切り替えるというのは難しいとは思いますが、変なプライドを捨てるというのは必要なのかなと思います。そして応援してくれる人に感謝することも大事だと思います。

-最後にこれからのキャリア形成で新たなプランなどあればお聞かせください。

吉川氏 パンの店は来年、もう1店舗オープンする方向で準備を進めています。もちろん焼き肉店もパンも大事にしていきたいのですが、石橋をたたいて渡る性格なのでイッキにドカンという気持ちはないですけど、これからもコツコツ面白いことができたらなと思います。何をやるかというのはこれから自分自身、楽しみにしていきたい、と考えています。

◆吉川勝成(よしかわ・かつなり)1977年(昭52)4月28日生まれ。京都府出身。天理、龍谷大を経て99年ドラフト9位で近鉄入団。05年、球団合併に伴いオリックスに移籍。08年シーズンを最後の引退。通算108試合に登板し4勝8敗1セーブ、防御率4・32。右投げ右打ち。現在は大阪市内で焼肉「勝」と肉重「かつ」、食パン専門「成り松」を4店舗経営する株式会社WORLD-K代表取締役。