「どこでやらせたら…」失敗しないチーム選び/連載

前慶応高監督の慶大上田誠コーチ

<週中ベースボール>

子どもが野球をやりたがっているが、どこでやらせればいいのだろう? そんな悩みを持つ人は多いかも知れません。前慶応高校野球部監督で、現在は全日本軟式野球連盟の委員として学童野球(小学生の軟式野球)の発展などに取り組んでいる上田誠さん(62)にお話をお聞きしました。まずは「失敗しないチーム選び」。【取材・構成=古川真弥】

チーム選びにあたって、上田さんが最重視するのは「指導者の言葉遣い」だという。15年に慶応高の監督を退任後、主に関東圏の学童野球大会を見て回った。「隠れて見に行きました」と苦笑いで語ってくれた内容は、ちょっと笑えないものだった。

上田さん(以下、上田) すごいですよ。「死ね、この野郎!」「何やってんだ!」「打つなって言ってるだろう!。1球、1球、こっち見ろ」。僕の大学時代の監督さんより、すごい言葉遣いです。

とてもじゃないが、大の大人が小学生に浴びせる言葉とは思えない。しかも、衆人環視で。「1球、1球、こっちを見ろ」と言われた子どもは萎縮して、打席ではベンチを見てばかりだったという。指導者の言葉遣いは、保護者や子どもたちにも伝染していた。

上田 ヤジに出ますね。「ほらほら、入んねえぞ」とか、「次はお前がエラーするぞ」とか。相手がいるから試合が出来るのに。相手のいいプレーに拍手して「ナイスプレー」と言わせるのかと思ったら、違いました。親もそうだし、子どももヤジを飛ばせと指導されている。

子どもに「死ね」という指導者に、わが子を預けたいだろうか? まずは一般客として、お目当てのチームの試合を見に行くこと。その際、注意してほしいのは、子どもたちが楽しそうにしているか、だ。

上田 ベンチを見てばかりのチームや、ヤジを飛ばすチームの子どもたちは、楽しそうじゃないんです。楽しくやれる。それが一番だと思います。

親たちの姿も見てほしい。いわゆる「お茶くみ当番」の問題。ある母親から、メールでこんな悩みを打ち明けられたという。

「私は金曜の夜になると胃が痛くなります。憂鬱(ゆううつ)になります。明日から土日で、子どもは面白がって野球をやるけど、あまりに時間が長い。子どもは罵声を浴び、訳の分からない当番が回ってくる。夜は懇親会。監督を呼んで接待です。これがつらくて、つらくて。やめようと言い出せないでいます」

上田 僕は(慶応高監督時代)お茶くみ当番は一切、やらせませんでした。お茶なんて、自分で持っていけば済む話。でも、既にチームに入っている子の親に聞いても、選手が1人でも多い方が楽になるから、本音を語ってくれるかどうか。そういうのも、実際に試合を見に行き、雰囲気で分かるのではないでしょうか。やはり実地での下調べが大切ということだ。さらに、上田さんが重視するのが「試合数」。日本の野球界の未来にも関わる重大な問題をはらんでいる。

上田 試合ばかりやっているチームはダメですね。そういうチームの方にお聞きすると「試合に出られない子がかわいそう。みんなを出すために試合を多くしています」という。みんなを出したい、というのはいいんですけど、実際はずっと出ている子がいる。ライトなんかで2試合連続ならいいけど、ピッチャーやキャッチャー、球が飛んでくるところにずっと出ている。もう、1日に何球も投げているわけです。子どもの集中力が続きますか。

日本高野連は今春から「1週間500球」の制限を決めた。議論の過程で「小中学校から制限の必要がある」という指摘は強かった。上田さんが実際に聞いて驚いた事例がある。

上田 (神奈川県)相模原で年間180試合もやっているチームがありました。横浜で、学童野球の指導者の皆さんに「これはひどいでしょう」とお話しする機会がありました。そしたら、終わった後の懇親会で、ある指導者が「上田さん、うちは年間230試合、やってますよ」と言ってきた。

その指導者は、むしろ得意げだったという。別の事例は、令和改元の際の10連休に20試合ほどやったチーム。メンバーは14人しかいない。なぜ、そんなことが起こりえるのか。

上田 地元の企業が「地域貢献」と題し、野球大会を開くんです。それで、試合数が増える。それに、やはり指導者ですね。昔ながらの自分がやらされた練習から勉強していない。子どもが「痛い」と言ったら「ちょっと休んだら治る。はり、行っとけ」ぐらいの感じ。怖いという認識がない。罵声を浴びせ、子どもの前でもたばこを吸う。

もちろん「いい指導者、いいチームも、いっぱいあります。よく勉強されていて、子どもたちも楽しそう」。その一方で、旧態依然のチームも存在する。次回は、学童野球が直面する問題についてお届けする。(つづく)

◆上田誠(うえだ・まこと)1957年(昭32)8月19日生まれ。神奈川県茅ケ崎市出身。湘南、慶大で投手、外野手。大学卒業後は英語教師に。桐蔭学園野球部副部長、厚木東監督、慶応中等部副部長を経て、91年に慶応高校監督に就任。98年には米国・カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)野球部にコーチとして同行。15年夏まで甲子園4回出場。19年に日本高野連育成功労賞。現在は慶大コーチも務める。