話芸家・山田雅人 藤浪に聞かせたい「小林繁物語」

「かたりの世界」に登場する西鉄稲尾投手(中央)らの写真を前にポーズを決める山田雅人(撮影・上田博志)

<寺尾が迫る>

日刊スポーツ名物編集委員の寺尾博和が、野球界をはじめ、各界著名人にインタビューするスペシャル企画「寺尾が迫る」の20年第1弾は、話芸家で知られる山田雅人(58)の登場です。その人物の一生からスポーツ名勝負、政財界から芸能までを1人で再現する「かたりの世界」を“語り初め”してもらいました。

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寺尾 著名人の功績、スポーツ名勝負を1人で演じる「かたりの世界」が好評です。

山田 最初は競馬テンポイント、ハイセイコー、オグリキャップを語っていました。08年に放送作家で長嶋茂雄さんのファンの高田文夫先生から「長嶋対稲尾」の対決を作ってくれないかと発注されたんです。

寺尾 1958年(昭33)稲尾和久さん(西鉄)が対巨人でチーム3連敗後の4連勝の日本シリーズです。「神様、仏様、稲尾様」と語り継がれています。

山田 稲尾さんはABCテレビ「おはよう朝日です」でご一緒した時期に話をうかがっていた。最初は居酒屋でやるつもりが、09年に完成したとき高田先生が「お前これで食っていけるよ」といって「話芸家」と名付けてくれたんです。

寺尾 鉄腕稲尾は大分・別府の漁師の息子ですよね。

山田 幼い頃からお父さん(久作氏)と船をこいで櫓(ろ)を止めてスズキを釣ってる合間に石を海面すれすれに投げるんです。それでコントロールを鍛えた。

寺尾 57年35勝、58年33勝で2年連続MVP、61年は驚異のシーズン404イニングを投げた。ピンチになると海が見えて不思議と落ち着いたんですって。

山田 父親は漁師の跡継ぎをさせるつもりで、野球には反対でした。高校時代は捕手で座ったまま盗塁を刺した。その活躍が新聞に載ってばれるんです。

寺尾 稲尾さんの大車輪の働きで三原脩監督の西鉄は逆転日本一を成し遂げた。

山田 その後、稲尾さんは右肩を痛めます。でもご本人は「右肩を大事にしながら10勝を20年続けて200勝しても、表彰はされても誰も『神様、仏様…』とは言われなかっただろう。だからこれで良かったんだ。後悔はしていない」と。

寺尾 2作目が「江夏の21球」ですね。

山田 西本幸雄さん(元阪急、近鉄監督)とは関西テレビ情報番組「なにぬねノムさん」でご一緒していた時に話を聞いていたし、江夏さんは大院大高の先輩なんです。

寺尾 79年広島と近鉄の日本一決戦。広島江夏が9回無死満塁の大ピンチを抑えて優勝します。

山田 江夏さんの外角低めへの制球力は高校時代に砲丸投げをやってたから身についた。

寺尾 1死満塁から近鉄石渡がスクイズ失敗で代走藤瀬が三本間で挟殺にあった。2死から石渡三振で広島が日本一になった。

山田 西本さんは江夏は一生待っても押し出しがないからスクイズしたくなかったらしい。その前の佐々木が三振したから石渡も打てないだろうと、つい手が動いてスクイズのサインを出してしまった。

寺尾 120パターンある語りでは「吉田沙保里物語」も感動的らしい。

山田 中2の大会決勝戦は左手骨折でドクターストップがかかってた。でもお父さん(栄勝氏)がノコギリで添え木を切る。「人間の骨は215本ある。これだったら大丈夫だ」といわれて試合に出たんです。

寺尾 親子鷹のサクセスストーリーですね。

山田 父親は自分が守りのレスラーで敗れてオリンピック(五輪)に出場することができなかったから、娘には「守るな!」とタックルばかりをたたき込む。「攻められなくなったらお前が辞めるときだ」って教えるんです。会場にいらした吉田さんは泣いてました。

寺尾 阪神ネタも泣き笑いが交錯します。

山田 「村山対長嶋」「江夏対王」「江川対掛布」「バックスクリーン3連発」に「掛布雅之2軍監督物語」…。73年掛布さんのお父さんの知人が現役引退した安藤(統男)さんと友達だった関係でテストを受けた。でもユニホームがなくて安藤さんの「9番」を裏返しに着てテストを受けるんです。

寺尾 ドラフト6位からミスタータイガース誕生です。

山田 掛布2軍監督だった当時、高山の背番号9を見て18歳だった自分を思い出しながら高山をしごくという語りです。安芸に1週間泊まり込んで取材しました。でも掛布さんのことを知らない外国人に背番号31を渡したらあかんです。「31番」の安売りはぜーったいにダメ。ラインバックとブリーデンの「40番」「44番」でいい。バースと。ファンはそこにこだわってるんですよ。

寺尾 スポーツ記者顔負けの取材力ですね。語りで一番大事なことは?

山田 ぼくを消すことですね。ぼくが目立ったり、うまく聞かせてあげようとか、ぼくが力んだときはダメ。語りの途中からスーッとぼくが消えたときがいい舞台です。

寺尾 語り1本作るのにどれぐらいの時間を費やすのですか。

山田 だいたい3カ月から半年。「天覧試合」は20年かかりました。村山さんは取材できたけど寝かせていた。長嶋さんに会ってやっと完成した。広島津田恒実さんも十七回忌で作りました。

寺尾 星野仙一さんとも親交があったようですね。

山田 亡くなる1年前に殿堂入り表彰式後のパーティーで「天覧試合」を披露したら、星野さんが「なんでおれの語りはないんだ!」と怒られた。その晩、部屋に呼ばれて40分、話を聞かせてくれて「あとはお前流に作れ」と言われた。誕生日が一緒なのでかわいがってもらいましたよ。

寺尾 阪神のことは気になりますよね。

山田 江夏、田淵、掛布の時代から見てますから生活の一部なんです。人生ですよね、やっぱり。育ててほしいです。大山とか、藤浪もこのまま終わらずに立ち直って。高山もそう。すごいジレンマありますね。

寺尾 創設85周年の節目。リーグ優勝から15年も離れ、日本一は1回だけ。

山田 唯一日本一にした吉田さんは英雄ですよ。現場に立たんでも「吉田義男総監督」でもいいくらい。伝統って大事です。技術はプロになる人は一流、問題は心だけなんです。球団が待つことだと思うんです。

寺尾 金本前監督も「育てながら勝つ」ことに苦心しました。

山田 だから外国人をとらずに、4番大山と心中するぐらい待ち続けてもいいじゃないですか。亀山だって外国人ディアーをとったから伸びなかった。育てたい選手もゴロゴロおるじゃないですか。

寺尾 毎年キーマンと言われるのは藤浪ですが。

山田 藤浪も待つしかないですよ。甲子園の優勝投手で誰よりも才能あるわけです。タイガースの伝統を誰が教えるかです。巨人から移籍した小林繁さんがどんな思いで背番号19をつけて投げたか。ミスタータイガースの田淵幸一さんは74年大洋戦、お父さん(綾男氏)が亡くなっても葬式に行かずにホームランを打った。誰かが歴史を教えてほしいんですよ。

寺尾 78年小林繁-江川卓のトレードは球史に残る衝撃でした。

山田 小林さんは巨人の2軍時代に多摩川グラウンド近くのおでん屋「小池商店」のおばちゃんに食べさせてもらっていた。小林さんは阪神のユニホームを着てあいさつに行ってるんです。おばちゃんから「あんたが投げるときは阪神ファンになる」と励まされて安芸で3000球投げ込んだ。工藤一彦投手は小林さんのために自ら「19番」を脱いで「26番」をつけた。小林さんは工藤のためにも負けられないと燃えるんです。藤浪さんに対巨人8連勝の「小林繁物語」を聞かせたい。グラウンド100周走るより言葉の力で変わるかもしれませんよ。

寺尾 ファン気質も変わってきました。

山田 ぼくたち語りでとちったらお客さん来なくなります。送りバント失敗したらヤジを飛ばすべきです。1死三塁で外野フライ打てない選手は3割打ってもダメです。プロだからファンの厳しい目も必要です。

寺尾 矢野監督は早々と優勝宣言しています。

山田 優勝してほしいんですけどね。矢野さんは切り札だったんで、本来は誰かに2年任せた後、矢野監督で優勝が一番の理想やったんですけどね。村上(ヤクルト)みたいな選手出てきてほしい。近本はうれしいですね。優勝争いしながら生え抜きでいい選手が出てきてくれるのが一番うれしいです。

◆山田雅人(やまだ・まさと)1961年(昭36)1月22日生まれ、大阪市大正区出身。タレント、俳優、話芸家など多彩な顔を持つ。映画「男はつらいよ」「あいが、そいで、こい」、ドラマ「渡る世間は鬼ばかり」など多数出演。映画「嘘八百京町ロワイヤル」が1月31日から全国ロードショー。「かたりの世界」は、5月1日 座・高円寺(東京)、5月25日ABCホール(大阪)、7月19日広島県民文化センター(広島)。ABCラジオ「ドッキリ! ハッキリ! 三代澤康司です」(月~木曜、午前9時)に火曜パーソナリティーとして出演中。

◆かたりの世界 落語でも、漫談でも、一人芝居でもない、マイク1本とスポットライトで演じる話芸。山田のオリジナル芸で「松井秀喜」「高橋尚子」「有森裕子」「松下幸之助」「盛田昭夫」「藤山寛美」ら人物編だけでなく、「忠臣蔵」「ラグビー日本代表」のストーリーなど、120パターンの語り歴をもつ。本人が直接取材したものを作品1本につき1時間近く、臨場感たっぷりに語りあげる。