元中日野口茂樹氏は営業マン、星野さんの説教に感謝

現在勤務するカミヤ電機本社前に立つ野口茂樹氏

<ザ・インタビュー~元プロ野球選手たちのセカンドステージ>

かつてプロの世界で活躍した野球人にセカンドキャリアを聞く「ザ・インタビュー~元プロ野球選手たちのセカンドステージ」。今回は元中日投手の野口茂樹氏(45)です。現役時代、MVPに輝いた左腕は現在、愛知県西尾市にある「株式会社 カミヤ電機」の営業マンとして第2の人生を歩んでいます。【聞き手・安藤宏樹】

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-現在はカミヤ電機に勤務し、営業をされています。

野口氏 2017年6月からこちらでお世話になっています。基本的にはLED照明の販売・施工をさせていただいています。工場の照明だったり、配線だったり、などですね。

-FA移籍した巨人を戦力外になったのが08年ですから、引退されてから10年以上が…。

野口氏 実は今も引退はしていない、というか、引退表明はしていないんですよね。でも三重の球団(独立リーグ・三重スリーアローズ)がなくなった11年秋に受けたトライアウトを最後に実質、引退ということでいいと思います。

-引退後はNPO法人の硬式野球チームでコーチ、名古屋市内の会社で営業マンなどを経て、現在の会社に移られたわけですね。

野口氏 ご縁があってお世話になりました。いまは営業の仕事をさせていただいています。お客様のところで野球の話をさせてもらって話の枝を広げていくとか、見積もりを作ったりとか。仕事はだいぶ慣れてきました。

-中日時代にはノーヒットノーランや最優秀防御率のタイトルも獲得。99年にはリーグ制覇に貢献しMVP。かつて中日の合宿所を出たときにはホテル暮らしを選択して話題にもなりました。華やかな世界から新たに社会人として再スタートをきることに戸惑いなどはなかったのですか。

野口氏 野球は野球、仕事は仕事。過去は過去。切り替えは意外とできるんですよ。ホテル生活は車に乗れなかったからです(笑い)。免許は持っていたのですが、ペーパードライバーだったのでホテルにしただけで。ジャイアンツを辞めてから、結婚もしましたし、切り替えはスムーズにできました。

-現役にとことんこだわった理由は。

野口氏 正直、野球しかできることがなかった。できることならずっと続けたいなと思っていましたので。自分で決めることができない世界だから、どうしようもないんですけどね。アメリカの2Aと契約できそうだということで現地に飛んだらメディカルチェックでひじの問題が発覚して白紙になったり、いろいろありましたけど、もともと高校時代にひじを壊してプロに入っています。内側の靱帯(じんたい)がはがれていたんですね。投げ方を工夫したりしてやっているうちに痛みがなくなることもあったのですが、2001年に149キロとかすごくスピードが上がって、途中で(別の箇所の)ひじを壊して…そこからですよね、バランスが崩れてしまった。どこに戻したらいいのかな、と…。

-故障をかかえながら現役にこだわり、投げ続けたからこそ、話題になっている高校野球の球数制限制度に思うところはありますか。

野口氏 球数制限ですか。個人の意見としては投げてきたからいまの自分があるわけで、無名校からプロに行ける選手は少なくなると思うんですね。たくさん投げたことで注目されることもあるし、自分の場合もそうだったわけで…。

-ひじに爆弾を抱えながらも練習でも試合でも多くの球数を投げ、実績を積み上げてきた野口さんならではの考え方だと思います。そんな野口さんもさまざまな体験をされています。96年の沖縄でのオープン戦では監督復帰したばかりの星野仙一さんから四球連発で降板した後、そのままベンチ横で立たされたこともありました。

野口氏 日本ハム戦ですよね。いまも中村さん(捕手=現中日コーチ)と笑い話をしたりするんですが、なかなかできない経験ですよね。でも、あれはあれでいいと思うんです。星野監督はガンとやった分、チャンスをくれたわけですから。ノーヒットノーラン(8月巨人戦)するシーズンですからね。実は入団2年目にアメリカ留学をしていました。たまたま(評論家として)視察に来られていた星野さんの前で完封したのかな。「そのままやっておけばいい」と言われたことを覚えています。次の年のオフに就任されて、という流れだったんですね。

-期待の大きさの裏返しでもあったわけですね。そして98年に宮田征典さんが投手コーチに就任、大きな転機となります。

野口氏 当時はまだノーコン、荒れ球というイメージのままだった。そこで宮田さんに言われたのはたったひとつ。「低めに投げればいい」。それだけです。コーナーを狙う必要はないということで。そこから低めを意識して練習を重ねる中で見つけた足踏み投法がピタッとはまったのです。

-宮田コーチは1年で巨人に復帰されますが、98年14勝で最優秀防御率、99年19勝でMVPへとつながったわけですね。

野口氏 投球フォームが固まって。単純なことなんです。ピッチャーがよくなるかどうかのきっかけは。

-現在は会社員として働きながら少年野球教室やスポーツ専門チャンネルでの解説など野球とのかかわりも続いているようです。これからの夢はありますか。

野口氏 仕事をやっている以上、会社に貢献できるようにしていかないといけないし、横の広がりを大きくしていければと思います。ただ、もし縁があって野球界の仕事をできればな、と思うことはあります。もっとも投げ方から練習方法までボクらの時代とは変わってきているので、常に勉強していかないといけない。柔軟な頭になっていないと今の指導は難しいと思います。そういうチャンスをいただいたときに対応できるよう、解説させてもらうときも「常に勉強」という意識でやらせてもらっています。

-最後に一言あればお願いします。

野口氏 ボク自身はプロ野球界に入れて、16年間もいられたことが幸せでした。野球をやって本当に良かったと思います。今の仕事を頑張っていきながら、野球界にも恩返ししていきたいと思います。

◆野口茂樹(のぐち・しげき)1974年5月13日生まれ、愛媛県出身。丹原高から92年ドラフト3位で中日入団。99年、19勝をマークしリーグ優勝に貢献、MVPに選出された。05年オフ、FA権を行使して巨人移籍、08年戦力外。独立リーグ「三重スリーアローズ」などでプレーを続け、11年秋のトライアウト参加を最後に現役引退。通算281試合に登板。81勝79敗2セーブ、防御率3・69。左投げ左打ち。現在は愛知県西尾市にある「株式会社 カミヤ電機」で営業を担当。