稲葉監督 いじめの過去 父に救われ開いた野球の道

全日本大学野球連盟監督会で講演を行った侍ジャパン稲葉監督(撮影・河野匠)

すべての出会いが金メダルへの道に通ずる。侍ジャパン稲葉篤紀監督(47)が17日、横浜市内での全日本大学野球連盟監督会で約150人の監督を前に講演を行った。「人との出会い」をテーマに、いじめから救ってくれた両親の背中に学び、ヤクルト野村監督ら歴代仕えた指揮官に教えを受け、現在の野球観が備わったことを明かした。47年の人生で紡いだ1つ1つの物語が、東京五輪での悲願成就への力になる。

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額に汗を浮かべながら、1時間を超えて熱弁した。「話をするのはうまくないんです」。プレミア12で10年ぶりの世界一を成し遂げたが、威圧感を振りまくこともない。物腰柔らかく、稲葉監督は語った。

謙虚な姿勢は水道関連の会社で専務を務めていた父昌弘さんに学んだ。現場回りに子供の頃に同行した。「職人さんに『ごくろうさん』『いつもありがとう』と言っていた。1000~2000円を渡して『お茶でも飲んで』と。感謝の気持ちを忘れず、現場の人をリスペクトする。おやじの背中に学んだ」。侍ジャパン監督になっても選手を呼び捨てしない。公の場では「~選手」と呼ぶ。プレミア12優勝時は涙を流し、献身的に尽くした選手の名前を列挙して感謝した。

窮地を、敢然と、柔軟に救ってくれた。小6でサッカー部の主将になった。だが不満に思った同級生に無視された。いじめだった。「ものすごくつらかった」。気付いてくれたのは母貞子さん。修学旅行のために買った人気のナイキのジャージーを他人が着ていたのを写真で見つけた。

昌弘さんはいじめた子供の家に行き、相手の両親に言った。「うちの息子も悪い」と言い、加えた。「ただいじめに遭っていることも聞いた。(篤紀は)プロ野球選手になるので近づかないでほしい」。車で待機していた稲葉少年は後で何を伝えたのか聞いた。「よく、そんなことを言ったなと(苦笑)。ただ一方的に言うのではなく『うちの息子も悪い』とも言い、解決した」。野球にまい進する道を懐の大きさで用意してくれた。

プロの海に飛び込み、師事した歴代の監督は野球観と決断力を植え付けてくれた。ヤクルト野村監督に2番に据えられた。「飯田さんが1番で出塁し、5、6回までバントのサインが出なかったので、どう進めるか。配球を読んだり、野球の奥深さを覚えた」。接戦傾向の国際大会では自ら体感した2番に加え、9番の重要性も挙げる。「足とバントができる選手だと上位につながる」。プレミア12の決勝韓国戦では2番坂本勇、9番菊池涼で制した。

心中する胆力も見た。01年、ヤクルト若松監督には「1年、使い続けるから」と言われ、キャリアハイと自負する成績を挙げた。侍ジャパン監督就任後の最初の大会で自らも選手と心中した。17年のアジアプロ野球チャンピオンシップでソフトバンク上林を使い続けた。「日本シリーズで打撃不振だったが、何か自分とリンクした。『何があっても代えない』と伝えた」。初戦韓国戦で起死回生の同点3ランを放ち、応えてくれた。

集大成となる戦いを前に人生を振り返った。「監督像は自分で作ろうと思っている。いろんな監督のいいものを取っていきながら、自分というものをしっかり出していく」。奇跡の出会いの連続が稲葉監督を生み出した。「とにかく金メダルを取る。選手たちが喜び、選手たちの人生が変わっていく。野球が復活し、野球に興味を持つ子供を1人でも増やす」。揺るぎない信念で挑む。【広重竜太郎】