元中日片貝氏は名店の人事部部長 心に残る江川攻略

矢場とん本店の前に立つ片貝義明氏

<ザ・インタビュー~元プロ野球選手たちのセカンドステージ>

かつてプロの世界で活躍した野球人にセカンドキャリアを聞く「ザ・インタビュー~元プロ野球選手たちのセカンドステージ」。今回は元中日の片貝義明氏(68)です。現在は「株式会社 矢場とん」(愛知県名古屋市)で人事部部長を務める傍ら、同社が立ち上げた硬式野球クラブチーム「矢場とんブースターズ」監督を兼任。現役引退後、長年にわたり中日スタッフとしてチームを支えた同氏にとってのセカンドキャリアとは…。【聞き手・安藤宏樹】

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-現在は名古屋名物、みそかつの名店「矢場とん」にお務めです。名刺には「人事部部長」。一方でクラブチームの監督もされています。

片貝氏 野球部については監督から選手獲得、チームの予算管理など運営のすべてやっています。人事の方はアルバイトも含めた募集、採用活動などを行い、本店も含め4店舗の売り上げ管理も任されています。野球部のメンバーはすべて社員として新卒採用するなど連動する面もあり、本部での人事部長も兼ねているということです。

-中日を退団されたのは14年。転身のきっかけは。

片貝氏 矢場とんの鈴木孝幸会長にはもともと懇意にしていただいていました。退団のあいさつにうかがったときに、硬式野球チームを立ち上げるので手伝ってほしい、というお話があり、最初は野球部長という立場でかかわらせてもらいました。2年目からは監督と人事部長も兼任する形で現在に至っています。

-プロ野球の世界で言えば「GM兼監督兼経理部長」でしょうか。難しさはないですか。

片貝氏 やりやすさの方が多いですね。ドラゴンズ時代に多くの経験をさせていただいたので、会社のこともわかるし、選手のこともわかる。いい意味で壁がないわけです。組織が大きくなると、どうしても縦割りの障害が出てきますから。

-ドラゴンズの話が出ました。現役生活は1軍でわずか出場13試合にとどまりました。

片貝氏 当時はレギュラー捕手が木俣さん。努力が足りないのかセンスがないのか分からないけど、これは抜けないな、と壁の厚さを感じました。球団からは早い時期から若手投手の「教育係」的な役割をするように言われまして。ちょうど牛島(和彦)とか小松(辰雄)とかが入団してきたころです。いま振り返ってみると早い段階からそういう道に導いてもらったことが現在につながっています。本当に感謝ですね。

-引退後に経験したさまざまなポストがいまに生きている。

片貝氏 最初はスコアラーでした。30歳手前ですね。その後、コーチもさせていただきました。実績もなく、教える立場にはないと思っていたのでお断りしようと思っていたのですが、当時監督だった星野仙一さんに「おれの気持ちがわからんのか!」と怒られまして(笑い)。そこから必死で勉強しました。40歳のころです。キャンプに取材で来られた長嶋茂雄さんや山本浩二さんに打撃論を聞きにいったこともありました。50代からは動作解析やコンピューターを活用したデータ分析の世界も経験しました。このときにパソコンを学びました。いずれも未開拓の分野でしたが、形にはなったのかな、と思っています。パソコンでの資料作りなどは現在の仕事でも必須です。結局、すべての経験がいまに生きているということを気づかされました。

-もっとも印象に残ることは何でしょう。

片貝氏 スコアラー時代に体験した「江川攻略」の試合でしょうか。

-82年にリーグ優勝したシーズンで分岐点となった9月28日の巨人戦ですね。当時、天敵だったエースの江川卓を天王山と言われた本拠地3連戦初戦で攻略。集中打で9回4点差を追いつき、延長10回に角三男から大島康徳がサヨナラ打。マジック12を点灯させた伝説のゲームです。スコアラーとしてどんな提案をされたのですか。

片貝氏 まず3連戦の前から「秘策あり」とマスコミを通じてあえて情報を流しました。巨人と江川サイドへの攪(かく)乱作戦です。打撃コーチには球威のある高めのストレートを捨てるのではなく、そこを狙いにいくことであの大きなカーブにも対応できる、と提言しました。その試合ではみな高めを狙い見事に攻略。ウキウキしました。

-大変だったことは。

片貝氏 もっとも苦労したのもスコアラー時代です。就任当初は仕事内容がまだ確立されていませんでした。フォーマット作りから始め、試合があれば毎日徹夜作業。現場もまだ活用法や効果が分からない時代でしたので必死の日々でした。それでも頑張れたのは「現役で成功しなかった以上、スコアラーとしては絶対に成功しよう」と引退時に自分の中で気持ちを切り替え、そう決意したからです。いい資料を作り、いいデータをチームに伝えたい。その思いが結実したのがあの「江川攻略」だったと言えるのかもしれません。

-プロ野球選手にとって引退後にもっとも必要なこととはどんなことだとお考えですか。

片貝氏 たとえ野球の世界でトップだったからといっても、一般社会に入ればその瞬間から世間の評価は白紙になります。どの世界に進もうが新たな分野でプロとして結果を出していくしかない。小さなことでも任された仕事をまず完結することです。そこで自信を得て、引き出しを増やしていくことが大事だと思います。自分の道を整理して、小さなことから少しずつでもいいので結果を出すことで対応方法も増えていきます。

-今後の目標などあればお聞かせください。

片貝氏 ご縁があって現在も野球に携わる仕事をさせていただいています。大学まで野球をしていたけど行き場がない。そういった学生の受け皿となり、新たな人生に踏み出すために真剣勝負のできる野球の場を作ってあげたい、という創部理念に共感して立ち上げからブースターズにお世話になっています。私なりにこれからもクラブチームとしての新たなモデル作りにも挑戦したいと思っています。

◆片貝義明(かたかい・よしあき)1951年9月27日生まれ、群馬県出身。前橋工、日本石油を経て72年ドラフト2位で中日入団。捕手として1軍出場は通算13試合。80年引退後はスコアラー、コーチ、動作解析担当などを歴任。14年に中日退団後は愛知県名古屋市を拠点に各地で展開するみそかつの「矢場とん」に転身。現在は本部人事部部長とクラブチーム「矢場とんブースターズ」監督を務める。