元中日大塔氏は電設会社経営 ひじ故障が球界財産に

社長席でインタビューに答える大塔正明氏

<ザ・インタビュー~元プロ野球選手たちのセカンドステージ>

かつてプロの世界で活躍した野球人にセカンドキャリアを聞く「ザ・インタビュー~元プロ野球選手たちのセカンドステージ」。今回は元中日投手の大塔正明氏(46)です。00年に引退後は電気設備工事業に従事、14年に独立、現在は兵庫県西宮市で「株式会社 ダイテックシステム」の代表取締役を務めています。【聞き手・安藤宏樹】

-現在の仕事について教えてください。

大塔氏 実質的にほぼ1人で独立してから7年目になります。一昨年にこの場所に移転しました。防犯カメラや学校教室のAV設備の設置、ホールの音響設備の設計、施工、メンテナンスなどを主にやっています。いま社員は10人です。引退してからこの業界で仕事をさせていただくようになり、14年に独立させていただきました。

-引退直後から電気設備工事業に携わってきたのですか。

大塔氏 ご縁があってこの業界にお世話になりました。現役時代からパソコンをキャンプに持ち込んだりするなど、機器などに興味や好奇心はありましたが、もちろん知識も経験もありませんでした。そこから修業させてもらい、電気工事士や施工管理の資格も取りました。時代が急速に変化していく中で、自分としてやりたいことも少しずつ出てきましたので、思い切って独立させてもらったわけです。大きな決断でした。

-40歳にして裸一貫でスタートした事業は順調に推移されているようです。

大塔氏 最初はほんとに机ひとつしかない小さな事務所でした。売り上げなどほとんどありません。不安ばかりが襲ってきて、夜も眠れませんでした。お客さま、仕入れ先、職人さん、この3つが確立しないとこの事業は立ち行きません。おかげさまでこの3つに恵まれ、自然とこの形、この規模になってきました。不思議と困ったときには自分が何もしなくても周囲の人に助けていただき、ここまできています。

-大きな決断をする際、背中を押してくれた存在は。

大塔氏 それまでの仕事でお世話になった方々であり、母です。父はサラリーマンでしたので家業等もありません。引退後の不安もあり大学卒業時に母は内定していた社会人野球に進むことを望みました。しかし独立するときは父が「事業など簡単ではない」と反対する中で母が後押ししてくれました。その母はいまも経理事務などで会社を助けてくれています。

-現役生活についてお聞かせください。残念ながら右ひじを痛めたことで短命を余儀なくされました。

大塔氏 中継ぎでしたので毎日、毎日投げていました。関節に負担がかかるのは仕方がなかったとは思います。試合で投げている回数は多くはないのですが、ブルペンでの投球練習もあるので。99年オフに手術、その次のシーズン終了時に戦力外通告を受けました。まだ27歳で体力的には問題なかったので「なんとかもう1年」と思い、当時は合同トライアウトのシステムがありませんでしたので、自分で連絡して近鉄、阪神、ヤクルト、横浜などでテストを受けさせてもらいました。最後にダイエーを受けようと思ったときにひじの痛みも増して「もう無理や」と。そのとき自分から断りの電話を入れました。その時点でふっきれました。

-ひじの手術についてはこの春に長い時間を経て意外な話をお聞きになったとか。

大塔氏 何年かぶりに中日の沖縄キャンプを訪問したのですが、当時マンツーマンで支えてもらったトレーナーから、もう20年もたったから言えるけど、お前のバックデータのおかげでいまの選手は手術の仕方も変わり、復帰への時間も早まったと告白されましてね。「勉強させてもらった、ありがとう」と言われたんです。引退して3、4年のころでしたらそうは思えなかったかもしれませんが、スポーツ医学の進化に貢献でき、いまの選手たちにもなんらかの役に立っていたということを聞き、それはそれで意味があったんだな、と素直に思えました。

-引退後は野球界から離れていたわけですが、この春から母校・近大で指導されることに。

大塔氏 現在のスタッフに投手経験者がいないということでお話をいただきました。恩返しをしないといけない世代でもあり、受けさせてもらいました。OBがボランティアとしてサポートさせていただくという形ではありますが、なにしろブランクも長く不安もありました。そこで中日のキャンプを見させてもらおうと思って沖縄を訪問しました。ドラフト同期の門倉2軍投手コーチなどにもいろいろ話を聞かせてもらいました。

-現役時代の一番の思い出は。

大塔氏 それはもう星野(仙一監督)さんの拳(こぶし)ですね。今の時代は許されないことではありますけど、厳しさの中の愛情というか、なんとか一人前にしてやりたい、という思いが伝わってきました。どつく方の監督も同じ痛みをもっておられたんじゃないかな、と。フォローも島野(育夫)ヘッドコーチにしっかりしていただきました。星野さんがご存命で芦屋にお住まいのころだと思いますが、会社も近いので何度か偶然お会いすることがありました。そのときも「何か困ったことがあったら言ってこいよ」と声をかけていただきました。

-残念ながら故障の影響で現役生活はわずか5年。しかし、その後のセカンドキャリアはぶれることなく一本の道を着実に歩まれているのがよくわかりました。最後にこれからの目標をお聞かせください。

大塔氏 規模ではなく、体力の強い会社にしていきたいですね。人を増やすだけではなく、自分も社員も個々のスキル、能力を上げ、私自身が目の届く範囲で強くしたい。足元を固めながら発展していきたいと思っています。

◆大塔正明(だいとう・まさあき)1973年4月5日生まれ、大阪府出身。近大付高、近大を経て95年ドラフト5位で中日入団。97年、自己最多の43試合に登板して2勝をマークしたが、ひじを故障。00年限りで現役引退。通算71試合に登板。3勝2敗、防御率3・97。右投げ右打ち。現在は兵庫県西宮市で音響・映像設備、セキュリティーなどを取り扱う「株式会社 ダイテックシステム」代表取締役。