<寺尾で候>
日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。
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朝の情報番組「羽鳥慎一モーニングショー」(テレビ朝日系)で、ノーベル医学・生理学賞を受賞した京大特別教授の本庶佑(ほんじょ・たすく)は、新型コロナウイルス対策を「戦争」と表現した。地球規模の感染拡大とスピードを戦時下にたとえた危機感の表れだろう。
本場のメジャーリーグも、日本のプロ野球も開幕が見えてこない。「これを読んでみてください」。阪急ブレーブスのエース、元中日監督の山田久志から1冊の本を渡された。「戦場に散った野球人たち」(早坂隆著、文藝春秋)というノンフィクションだ。
太平洋戦争で戦死した沢村栄治、吉原正喜らプロ野球選手が6人、学生野球で活躍した嶋清一の計7人を書き下ろしている。「職業野球」を志した選手たちは後の「プロ野球」に夢を託しながら勇ましく散った。
伝説の男たちのドラマには、阪神(大阪タイガース)でスラッガーだった景浦将も登場する。水島新司の人気漫画「あぶさん」のモデルになった景浦は、松山商から立大を経て阪神入り。背番号「6」。最優秀防御率、首位打者、打点王を獲得した二刀流だった。
この日、立大の後輩にあたる荒井邦夫(83=元全日本大学野球連盟)は、大事にしている景浦の写真を見て懐かしんだ。荒井は、1つ年上で立大の黄金期を築いた長嶋茂雄と同じ時代を過ごした。
「わたしたちにとって景浦さんは雲の上の人。長嶋さんがヘルメットを飛ばすオーバースイングのイメージとだぶりますね」
阪神球団史によると、当時監督の松木謙治郎は「大打者の風格、貫禄を備えた大打者は、景浦の後、中西太、王貞治しか出ていない」と語った。戦場の兵士になった景浦は1945年(昭20)5月20日、ルソン島カラングランで戦死。高熱にうなされ、マラリアに感染し、果てた。
また、山田から薦められた本には、巨人軍第1期生、後に阪急軍入りした先輩の新富卯三郎も出てくる。ビルマ戦線で「もう1度ボールを握りたい」と仲間に打ち明けた証言がつづられている。
その願いはかなわなかった。戦友は現地で右手首だけを切り落とした遺灰を持ち帰ったという。新富30歳、景浦は29歳。再び野球ができる日を信じながら逝った先人たちの夢をつむぐためにも、野球界は前を向きたい。(敬称略)