「自分勝手な動きを」イチロー氏魔性の打撃/パ伝説

06年2月、イチロー(左)は新井宏昌打撃コーチと話す

<復刻パ・リーグ伝説>

イチロー氏(46=マリナーズ会長付特別補佐兼インストラクター)の引退から、1年がたった。現在ソフトバンク2軍打撃コーチを務める新井宏昌氏(67)は、94年にオリックス打撃コーチに就任。プロ3年目の同氏と出会い、孤高のスーパースターが心情を明かせる数少ない野球人になった。2000本を超える安打を残した好打者、新井氏だからこそかわすことのできたイチロー氏との対話を振り返る。【取材・構成=堀まどか】

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プロの目には、2人はよく似たタイプの打者に見えた。

新井が野球評論家になって1年目の93年。仕事で出向いたオリックスの本拠地で、打撃コーチの大熊忠義に「新井に似た打者がいる、見てやってほしい」と声をかけられた。それがプロ2年目のイチローだった。

新井 それで打撃練習を見ましたが、ピンと来なかった。そのときは振り子打法のような打ち方をしていなかった。目に留まるようなものを見たわけじゃない。頭から、鈴木一朗という選手は消えていました。

93年オフ、オリックスは新監督に仰木彬を招請。仰木は1軍打撃コーチに、近鉄監督時代から頼りにしてきた新井を選んだ。若手が参戦したハワイのウインターリーグを視察した仰木は、新井に「いいのがいるぞ」と告げた。翌年の春季キャンプで新井は仰天した。

新井 こんないい打者がいたのかと。以前見たときとは別人でした。しなやかな動きで、低いライナーを遠くに飛ばす。以前は、本人が本来やりたいことを押し殺しながらやろうとしてたんじゃないかと。

独特の打法は、当時の1軍首脳陣に認められなかった。仰木政権誕生後はその眼力に守られ、イチローは存分に個性を発揮していく。新任の打撃コーチとの“対話”が始まった。

新井 ぼくの選手とのコミュニケーションは、ティー打撃で自分が上げたボールに対してどういうバットの出し方、捉え方をするのかによって次の言葉を出す。イチローのそれを見たときに思ったのは、なんと自分勝手な動きをする選手なのかなと。打者は投手が動かないとステップも踏めないし、バットも振れないのだけど、彼は自分が動いているから投げてきてくれ、というような動きをする。

相手の動きを自分に引き込む。魔性のような打撃だった。

新井 魅入られたように投げる? そう! バットを振るところにボールが行ってしまいそうだし、そこに投げないといけないのかな、という動きにさせられるというのかな。いつでもバットを振れる状態で投手に対処していくので、たいがいの球なら捉えられる。数多く、だれよりもバットをたくさん振って、ボールを打ってきた経験がそうさせてるんだと思いますね。やり続けたことで、自然に体が反応していくというのか。

振り子打法のルーツを理解した上で、新井はイチローとティー打撃を始めた。

新井 バットを逆手で持って、右の方に少し重心をかけて鋭くボールを打ち返す動きを5年間やりました。これをやることが自分にとって何の役に立つのか理解した上で、同じことをやり続けることができた。

新井は、打者イチローの特性を理解していた。

新井 軸足に残して打てと基本的なことをやかましく言う人がいるけど、ぼくは言わなかった。彼は軸が動く打者、ステップと一緒に体全体が投手寄りに動く打者だから、右足が降りたところが彼の軸。だからイチローは右足、右膝が命。右足が降りたところで、相手投手に緩急をつけた、いろんな球を投げられても、そこからまだ体が前に行くことなく、軸が右の方に寄ったところでしっかり振れるような練習をずっと入れたから。5年間ずっと続けて、ようやく6年目に「もうやらなくていいですか?」と彼が言ったんです。

首位打者、最多安打のタイトルを毎年取り、すでに日本一の打者になっていた。ただ成績ではなく、感覚でイチローはその練習に区切りをつけたのだろう。

最強のヒットメーカーの支えは、打席への強い執着心もあったと述懐する。

新井 試合の状況を見て交代を勧めても「行きます」って言ってヒットを打つ。打席に立って、バットを振って、投手と対戦して結果出すことが大好き。好きでたまらないわけです。

現役生活の終盤は、それがままならなかった。いつ来るかもわからない打席に備える立場になった。

新井 イチローはレギュラーでないとダメ。外野守ってるときでも体を動かしている。常に動いてる方が彼のしなやかさを出せる。休むのはダメ。DHもダメ。マグロみたいに動き続けていないとダメなんです。

昨年3月21日の引退の一報に、新井は言葉を失った。それまでの言動に、引退近しをにおわせるものはなかった。ただ、アスレチックスとの開幕戦で安打を打てずに戸惑う姿を見るうち、体を感覚通りに自在に操る才能がうまく機能していないのでは、と感じた。「そういう自分を彼なら許せないかな、とも思った」。イチローが引いた線が新井には見えたのかもしれない。

日米4367安打。成績は異次元でも、違う世界に生まれたわけではない。

新井 これだけヒットを打つのに、子どものころからどれだけバットを振ってきたか。「天才」と言われるたび、そう言いたいところもあったと思います。

イチローの心の叫びも、新井は理解していた。

新井 彼は人に見られているのを意識しながらプレーしている。見られている。だから美しい映像を見せたい。見せなきゃいけないということを意識しながらプレーしている。それを意識しながら結果を出しているのは、これまたすごい。彼の映像はきれいだから。

美しい残像も、イチローの作品だった。(敬称略)

○…野茂英雄氏によるイチロー氏への「メジャーの洗礼」の裏話を新井コーチが教えてくれた。01年5月2日、マリナーズ・イチローはレッドソックス野茂と対戦し、5回2死二塁の第3打席で背中に死球を当てられた。「メジャーの洗礼」と言われたが、新井コーチが聞いた話によれば、投球動作を始めたときに「このまま投げては打たれる気がして、より厳しいところに投げようとした結果が死球になった」とのこと。イチローはオリックス時代の93年6月12日、近鉄野茂からプロ初本塁打を放った。8年後、醸し出す殺気を野茂が感じたのか。超一流対決ならでの逸話だ。

◆新井宏昌(あらい・ひろまさ)1952年(昭27)4月26日、大阪府生まれ。PL学園-法大を経て74年ドラフト2位で南海(現ソフトバンク)に入団。1年目の後半から1軍に定着し、新人ながら打率3割3厘をマーク。86年から近鉄に移籍。87年に打率3割6分6厘で首位打者に。92年7月8日オリックス戦で通算2000安打を達成し、同年オフに引退。その後はオリックス、ダイエー、ソフトバンク、広島で2軍監督、打撃コーチなどを歴任し、19年からソフトバンク2軍打撃コーチに。175センチ、66キロ、右投げ左打ち。