山陰のジャイアンこと白根さん、コーチで夢を後押し

11年8月、日大三戦に先発する開星・白根

<あの球児は今>

日刊スポーツのアマ野球担当経験記者が、懐かしい球児たちの現在の姿や当時を振り返る随時連載企画「あの球児は今」。今回は10、11年と開星(島根)で「山陰のジャイアン」と呼ばれ、甲子園を沸かせた元ソフトバンク、DeNAの白根尚貴さん(26)です。現在、四国IL・愛媛の野手コーチを務めています。

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白根さんは「記憶に残る試合ばかりでしたね」と甲子園の大舞台を振り返った。

2年生で初めて甲子園のマウンドに立った10年春は21世紀枠の向陽(和歌山)に敗れ、野々村直通監督(68)が「末代までの恥」と発言し騒動に。10年夏は仙台育英(宮城)に1点リードの9回2死満塁で、中堅手が飛球をグラブに当てて落球し、2点が入り逆転負け。打球が上がった瞬間、マウンドでガッツポーズをしていた白根さんはぼうぜん。「ワアッとなって後ろを見たら落球していた。今でも僕の中では(あの試合は)勝ってますから。ただの中飛。1学年上の中堅手の本田(絋章)さんは小、中、高と一緒。本人にも中飛だと。いい思い出です」。10年前の悲劇を笑い飛ばした。

体重100キロを超える巨体は、まさにドラえもんの登場人物ジャイアンそっくり。3度出場した甲子園では17打数11安打の打率6割4分7厘、1本塁打、6打点と打ちまくった。内野手として11年ドラフト4位でソフトバンクへ。だが、翌年2月に右肘内側側副靱帯(じんたい)の手術を受け1年間リハビリ。「手術して野球ができないストレスもあった。高校の時は単なる練習不足でしたけど」。一時は体重82キロまで急激にやせた。4年目の15年は育成契約。そのオフに育成契約の打診を断り、トライアウトを受験。DeNAに支配下選手で移籍した。

移籍した16年に1軍デビュー。17年6月17日オリックス戦(横浜)で、プロ初安打となる初本塁打を左翼席へ運んだ。高校通算40本のスラッガーも、プロ7年での本塁打はこの1本だけ。小さいころから母子家庭で育った。母みゆきさんにホームランボールをプレゼントし、大喜びさせた。だが翌年の18年4月にみゆきさんが54歳の若さで急死。秋には戦力外通告を受けた。「母と野球を同時に失った」。失意の中、その年に結婚した夫人と愛媛に移り、19年から四国IL・愛媛でコーチとなった。

今はNPB入りを目指す選手たちを教える。「僕が若いこともあって、手本を見せると選手たちよりもできてしまう。それがもどかしい」。自分を超えないと夢はかなえられないと、体を張って伝えている。「指導者として野球の道を歩んで、これからも母を喜ばせたい」。ホームランボールは再び手元へ持ち帰ってきた。野球を続けさせてくれ、プロ入り後も二人三脚で乗り越えてきた母への感謝を忘れないために。【石橋隆雄】

◆白根尚貴(しらね・なおき)1993年(平5)4月28日、島根県生まれ。開星では1年秋からエース。甲子園は春1度、夏は2度出場。高校通算40本塁打。11年ドラフト4位でソフトバンクに入団。15年から育成契約。そのオフ、DeNAに支配下で移籍。18年限りで引退。通算15試合、打率1割7分6厘、1本塁打、2打点。19年から四国IL・愛媛の野手コーチ。186センチ、90キロ。右投げ右打ち。

○…白根さんは昨年11月に神宮で行われたワールドトライアウトで試合に出場した。「現役復帰とかではない。選手をスカウトする目的で行ったら、急に出ろと言われて」と苦笑いで説明した。現在、四国IL・愛媛では野手コーチとして、打撃だけでなく守備、走塁とすべてを担当。練習メニュー作成も任されている。首脳陣は元巨人の河原純一監督(47)、同じく元巨人小田幸平ヘッドコーチ(43)の3人。新型コロナウイルス感染拡大のため開幕が延期となっているが、シーズンへ向け準備を続けている。