今思う、ホークス誕生“生みの親”の言葉/寺尾で候

<寺尾で候>

日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。

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開幕を10日後に控えた今日9日は、ホークス誕生の“生みの親”だった鈴木達郎の命日にあたる。ソフトバンクの前身、ダイエーグループ経営政策会議専務理事の鈴木が53歳の若さで急逝したのは、1994年(平6)6月9日のことだ。

ダイエーは中内功(故人)が創業し、15年で売上高日本一に成長した。突然の訃報にスペイン・マドリードのホテルリッツから緊急帰国したことが絆の強さを感じさせた。政財界、流通業界、労働界に通じた鈴木が手掛けたのが、南海ホークスの球団買収だった。

1988年、ダイエーのプロ野球ビジネス参画が鈴木の水面下プロジェクトであることを突き止め、本人をつかまえるのに都内をさまよった。4日後に見つけた自宅に上がり込んだ。家人からお茶をごちそうになりながら帰宅を待つにつれ、様子が違ってきた。

そこはなんと、同姓同名の「鈴木達郎」の家だったのだ。ダイエー鈴木達郎でなく、JT副社長に就く鈴木達郎。接点のない二人は銀座の料亭で一席もつはめになった。「そのマヌケな記者に会ってみたいですね」。それが鈴木から招き入れられたきっかけだ。

当初は、ロッテからの球団譲渡で神戸移転の計画が具体的に進んでいた。そこに10億円超の赤字を抱える南海の案件が持ち込まれる。間を取り持ったのは三和銀行。ダイエーは急激に名門南海ホークス買収にかじを切るのだった。

西鉄ライオンズが去った後の福岡に、ダイエーが新球団をフランチャイズにしたのは力業だ。鈴木が仕掛けた球団買収、移転、土地取得、福岡ドーム(現ペイペイドーム)、ホテル建設など、ホークスタウンは今や副都心の目玉になった。

中内ダイエーは「フォア・ザ・カスタマー」を理念に掲げた。ファンのために-。それは名実ともに球界を代表するソフトバンクになっても受け継がれる伝統だ。コロナ禍にあって鈴木が常々「親会社に頼った球団経営はつまらない」と力説していたのを思い出す。

夫人の裕子は「時間がたつのは早いものですね。王さんが好きな人だったから、今もホークスは気になります」としみじみと話した。開幕が遅れ、試合数が減少した球団経営は苦境に立たされる。野球の底力をみせる開幕が近づいてきた。

(敬称略)