長嶋さんと原監督の持つ言葉の力/語録を振り返る

15年2月、巨人長嶋終身名誉監督(左)と笑顔を見せる原監督

巨人長嶋茂雄終身名誉監督(84)と原辰徳監督(61)。監督通算1034勝で並んだ2人は、圧倒的な「言葉の力」を持つ共通項がある。キャッチフレーズやニックネームを生み出す才能にあふれ、歴史的なドラマやスター選手を数多く輩出してきた。局面で発した言葉や思考とともに、積み上げた歴史を振り返る。

◆引退セレモニー

長嶋 「私は今日、引退を致しますが、わが巨人軍は永久に不滅です」

原 「小さい頃、野球選手になりたい、ジャイアンツに入りたい、その夢をもってがんばりました。そして今日その夢は終わります。しかし、私の夢には続きがあります。この言葉を約束して、今日引退します」

◆次代のスター育成

長嶋 92年ドラフトで自ら引き当てた松井秀喜氏との歩みを「巨人の4番1000日計画」と銘打った。自宅や遠征先ホテルの自室に呼び、マンツーマンで素振りを指導。電気を消し、暗闇の中でスイング音だけで状態を見極めた。松井氏も引退時に最も印象に残ったことを「長嶋監督との素振り」と告白。

原 06年ドラフト1位で入団した坂本を1年目の9月、中日戦で代打起用。延長戦でのプロ初安打が決勝打になると、翌年は19歳で開幕スタメンに抜てき。自身が放った平成元年プロ野球初本塁打に続き、昨年5月1日の令和元年初本塁打は坂本が記録。数奇な運命に「私よりもはるかに素晴らしい選手。尊敬に値するぐらい非常に大きくなっている。しかしまだ途上。何かあった時にはお目玉をしっかり、ということも私の役割かなと思ってます」

◆ニックネーム

長嶋 勝負強い打撃や右打ち、隠し球などでスーパーサブ的存在だった元木大介(現巨人ヘッドコーチ)を「くせ者」と命名。99年には2年目の高橋由伸氏をオオカミに例え「ウルフ」と名付けた。93年には鉄壁リリーフ陣を「勝利の方程式」と呼び、現在では一般的な名称になっている。

原 昨年6月4日、不調時に初めて6番に降格させた岡本を「ビッグベイビー」と命名。2年連続30本塁打を記録し、CSでMVPを獲得すると「少し大人になった気がします。乳歯が抜けたってことだね」とベイビー封印を約束。今季は自身に続く2代目「若大将」に指名した。

◆10・8決戦

長嶋 94年10月8日、中日-巨人の最終戦はともに1試合を残して同率首位で並んだ。勝った方がリーグ優勝という史上初の一戦を「国民的行事」と表現し、野球ファンの関心はマックスに。槙原-斎藤-桑田の「先発3本柱」リレーで勝利し、平均視聴率は史上最高の48・8%を記録した。

原 最大13ゲーム差を追い付いた08年10月8日、巨人-阪神の最終戦に勝利し、141試合目で初めて単独首位に立った。「阪神との思い出は現役時代でもないし、あの試合でもない。追い上げていった後半戦の日々だね。口では『大丈夫』って言っていたけど、本当に遠くて厳しいゲーム差だった」。96年に最大11・5ゲーム差を逆転した長嶋監督命名の「メークドラマ」を上回る逆転Vを達成。

◆その他の名言

長嶋 「勝つ、勝つ、勝つ、勝つ! 勝~つ!」。(94年「10・8決戦」のミーティングで生まれた名フレーズ。退任後も宮崎キャンプ視察時に選手に披露)「今年、初めて還暦を迎えまして…」(96年2月20日、60歳の誕生日のあいさつ。2度、3度迎える人はいないのですが…)「ヘイ、カール!」(91年、世界陸上のリポーターとして100メートル走で勝利した直後のカール・ルイスをスタンドから呼び止める)

原 「本当にお前さんたちはねえ、強い侍になった!」(09年WBCの優勝祝賀会であいさつ。「侍ジャパン」も原監督が命名)「毒を盛られても、栄養にしないといけない」(厳しいプロの世界を生き抜くため、父貢氏から授けられた金言。昨年7月には大江、古川の若手を2軍降格させる際に使用)「個人軍ではなく巨人軍」(接戦時には主力のバントも当たり前。チーム一丸で勝利を目指す精神説く)「水を得たフィッシュのごとく」(楽天から獲得したウィーラーの合流時、出場機会を求めた助っ人に、愛用する「水を得た魚のごとく」を英語バージョンにアレンジ)