地区V校を甲子園に…元球児スカイマーク会長私案 

高校野球について語るスカイマーク社の佐山会長

<寺尾が迫る>

日刊スポーツ名物編集委員の寺尾博和が、野球界をはじめ、各界著名人にインタビューするスペシャル企画『寺尾が迫る』は、インテグラル代表取締役で、スカイマーク代表取締役会長の佐山展生氏(66)の登場です。

航空業界トップで、元高校球児の同氏は、各都道府県が独自で開催する代替大会の優勝チームを同社の飛行機で甲子園球場に運ぶことを提案し、高校野球を熱く語りました。

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寺尾 新型コロナウイルス感染拡大は航空業界にも影響を及ぼしました。

佐山氏 2月は搭乗者数に影響がなかったのですが、3月は50%強減少、4月の緊急事態宣言後は、通常1日約2万2000人にご利用いただきますが、5月のゴールデンウイークは95%減まで落ち込みました。

寺尾 5月下旬に緊急事態宣言が解除されて社会が動きだした。

佐山氏 通常1日約150便の運航が一時22便まで減便せざるを得なかったが、8月からは135便ぐらいまで戻す予定です。先行き不透明ですが国内は比較的早めに戻ってくる可能性があるとみてます。

寺尾 プロ野球、Jリーグなどスポーツ界も開幕・再開しました。

佐山氏 スポーツを通じて元気になる方はいっぱいいるはずなので、素晴らしいことだと思っています。

寺尾 京都・洛星高出身で元球児の佐山さんが野球を始めたきっかけは?

佐山氏 ノートルダム学院小学校5年の3学期に急性腎炎を患い、4、5カ月、絶対安静で学校を休みました。運動もダメで、卒業まで体育授業は見学でした。自分も野球が好きでしたが、洛星中学入学とともにおやじ(佐山福繁氏=とみしげ)からも野球部入りを勧められすぐに入部しました。

寺尾 中高一貫の洛星では野球に夢中になった。

佐山氏 中学の野球部は上の学年がたくさんいました。PCR検査の積極実施の必要性を説いた山梨大学学長の島田真路さんは1つ上の先輩です。ボール拾いの下積みの毎日で、試合どころか打撃練習もなかなかさせてもらえなかった。

寺尾 洛星高は進学校ですよね。

佐山氏 でも野球部は厳しくて練習休みは正月3日間だけでした。朝練を7時からやって、昼はグラウンド整備、それから日が暮れるまで練習です。家に帰ったらご飯食べる元気も、お風呂に入る元気もなく、とにかくすぐに寝る毎日。高校3年夏の京都府予選で敗退するまで野球漬けでした。

寺尾 指導者からはどういう教えを受けましたか。

佐山氏 中高と指導を受けた西野文雄監督が非常に厳しい方でした。監督から教えられたことは「あいさつをしろ」「時間厳守」「高3夏まで野球を続けろ」。これが社会に出たら役に立つといわれてた。当時はなかなか理解できなかったですが、まさしくその通りなんですね。高3の夏、最後まで野球をやってなかったらとっくに社会の荒波に消え去っていたと思います。

寺尾 高3の夏は主将として臨みました。

佐山氏 1回戦の洛東高戦は6対1の勝ち。続く水産高戦(現海洋高)も12対8でしたが、試合後に整列したとき審判部長の村斉さんに「君たちが模範を示さないと誰が示すんだ」と叱られた。勝つに決まってると臨んだ試合がだらけていたのでしょう。西野監督からも、ものすごく怒られました。

寺尾 その翌日の朝、第1試合が大谷高戦でした。

佐山氏 大谷高校はこの大会断トツの優勝候補で朝日新聞の高校野球特集京都版の表紙の3分の2が大谷高校のカラー写真でした。

寺尾 そこで番狂わせが起きたわけですね。

佐山氏 これが最後と無心でやってたからあまり覚えてないのですが、ふと気がついたら9回裏ショートの守りにつくときに2-0で勝ってたんです。しかし、9回裏無死満塁のピンチ。普通は踏ん張って勝とうと思うでしょ。でもそんなこと思わないほど力の差があった。しかし最後は「二-遊-一」の併殺でゲームセット。洛星のベスト8進出で京都新聞は大騒ぎでした。

寺尾 その翌日3連戦で準々決勝の花園高戦を迎えます。

佐山氏 花園高校にも7回表が終わって6対0でリードした。うちは豊田暁投手と後輩の岡崎具樹捕手のバッテリーです。でも球審がストライクをとらなくなった。際どい球をことごとくボールと判定されだして7連続の四球と安打で6対6の同点になった。それでも8回に1点勝ち越しました。

寺尾 洛星高の勝ちが近づいてきたわけですね。

佐山氏 9回表は無死一、二塁で1番打者のわたしに回ってきた。わたしはバントに絶対的な自信をもっていましたが、西野監督をみると「打て」のサインでした。でも実はその試合に限りサインはマネジャーがだすことになっていたのです。

寺尾 マネジャーから出ていたサインは?

佐山氏 バントエンドランです。打てと言われたと思ってフルスイングした打球は真芯でしたがライト真正面のライナーで、2人の走者がスタートを切っていたのでダブルプレー。結局点は入らず、ベンチで西野監督に「どこ見とんじゃ」と怒られました。

寺尾 でも1点リードのまま9回裏の花園高の攻撃を迎えます。

佐山氏 9回裏無死一塁で飛んだ三ゴロは絶好のゲッツーコースでしたが、三塁手が二塁に悪送球し、二、三塁になり、次打者の打球が大西哲也左翼手の前に弾んで逆転サヨナラ負けです。当時の三塁手が2年後輩で現在京都府知事の西脇隆俊さん。彼に言わすと二塁カバーが遅かったと言います。

寺尾 創部3年目の洛星の甲子園の夢はついえた。

佐山氏 あの大谷戦に教えられたのは、人間の力の差なんて大したことない、それ以上に大きいのが気持ちの差ということです。相手となにが違ったかというと、向こうはだれ1人負けると思っていなかった。うちはだれ1人勝とうと思ってない。無欲でやっていただけなんです。気が緩んだほうが負ける。これはビジネスの世界でもまったく同じなんですね。

寺尾 今春センバツは史上初の中止でしたが交流試合が開催される運びです。

佐山氏 球児たちはへこんでいたでしょうが、あの新型コロナウイルス感染が拡大していく状況では仕方がないかなと思っていました。しかし交流試合ができて本当に良かったですね。

寺尾 5月20日には夏の甲子園大会の中止が発表されました。当初は地方大会も中止でしたが、各都道府県が独自に代替大会を考案し、実現にこぎつけた。

佐山氏 わたしはどうしてそんなに早く地方大会まで中止を決めるんだろうかと思いました。球児がかわいそうと思っていたら各地区で代替試合をするという動きがでてきた。とはいえ夏は高3の選手にとって最後の一番大事な大会なんです。高校野球の集大成じゃないですか。わたしのほうから提案したいことがあるんです。

寺尾 それは?

佐山氏 せっかく代替大会をするのに、地方大会に優勝して甲子園の土を踏めないのはかわいそうです。スカイマークは羽田、神戸など11空港を離着陸しているので、各地方空港から神戸空港に飛んできてもらって、甲子園球場のグラウンドにユニホーム姿で、地方大会の優勝旗を持って集合写真を撮らせてあげたいと思うんです。

寺尾 優勝チームが希望したなら座席を一定数確保するということですか。

佐山氏 スカイマークが飛ぶ空港の近隣県から神戸空港に飛んでもらったらということです。阪神さんにもお願いしないといけません。

寺尾 それは経営者としての発案ですか。

佐山氏 わたしのせめて地方大会優勝チームに甲子園の土を踏ませてあげたいという純粋な思いです。ビジネスではありません。ただ経営が厳しいときですからコストはカバーしないといけないので、スポンサーが必要かもしれません。これでもうけようということでは全くありません。

寺尾 スカイマークは「タイガースジェット」「タカガールジェット」「日本ハム」「B.LEAGUE」「ヴィッセル神戸」とのコラボなど、スポーツに理解のあるイメージが強い。

佐山氏 たまたまです。でもスポーツを一生懸命やってる姿は元気をもらえます。もう1つは、スポーツは「勝負」の厳しさを教えてくれます。ラッキーでもなんでも勝負は結果がすべてです。これはビジネスと同じなんです。

寺尾 高校野球が原点になっていると。

佐山氏 高校からプロに進むのはほんの一握り、成功するのはさらに一握りでしょう。大半は高校野球をベースに次の世界、社会にでていく何かを得る機会なんですよね。わたしにとって甲子園は夢のまた夢でした。でも勝利のうれしさ、敗北の悔しさを味わったのは今日までのビジネスに大いに役立ったと思います。それプラス体力と気力がついたことです。高校野球はわたしの人生の太い芯を作ってくれました。

寺尾 佐山さんにとって「高校野球」とは?

佐山氏 今日のわたしの「礎」です。わたしはまだ富士山の1合目ぐらいにたどり着いたところです。しかし高校野球の時代がなければとっくに消え去っていたでしょう。甲子園というところは別世界です。せめて地方大会優勝した球児たちに甲子園の土を踏ませてあげたい。もしできるならば全力を尽くしたいと思います。

▽元洛星高野球部監督・西野文雄氏(元京都府高校野球連盟理事長)「当時の洛星は野球と勉強を両立することが指導者と保護者との約束でしたが、相当厳しく指導したと思います。佐山君は派手さはないが堅実な守り、足が速くミートのうまい打者でした。最後の夏になった花園戦のチャンスに佐山君がサインを間違えたのは、ぼくのジェスチャーと大きな声で戸惑わせてしまったのかもしれませんね。ただ当時からどの業界に進んでもトップに上り詰める人間に成長すると思っていました」

◆佐山展生(さやま・のぶお) 1953年(昭28)12月3日、京都市生まれ。66歳。洛星高を経て京都大。ニューヨーク大大学院、東京工大大学院。帝人入社後、三井銀行(現三井住友銀行)から、ユニゾン・キャピタル、GCAの共同設立代表取締役などを歴任。インテグラル代表取締役、スカイマーク代表取締役会長、一橋大大学院客員教授、京都大学大学院客員教授。