<寺尾で候>
日刊スポーツの名物編集委員、寺尾博和が幅広く語るコラム「寺尾で候」を随時お届けします。
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その日の東京は小雪がちらついた。2012年(平24)2月1日。プロ野球が沖縄、宮崎でキャンプインした日、巨人を率いてV9を達成し、最強監督といわれた川上哲治はおもむろに自宅から中庭にでた。
薄日は差したが、南国と違って外は寒い。薄手でカシミアのセーターを着込んだ川上がなにをするのかと思ったら、そのうちサンドウエッジを持ち出してゴルフボールを打ち始めた。
この人にとって、プロ野球界の“正月”にあたる節目は特別なのだろう。すでに補助椅子を必要としていた。それでもこの日ばかりは野球人として体がうずくのか、黙々と止まった球を打ち続けたのだ。
「暖かくなったら巨人の宮崎キャンプに行かないといけませんな」。もはや難しいだろう。でもそれが川上の勝ちにこだわった執念かもしれないと思うと、その姿に触れて胸が熱くなった。
1年がたった13年10月28日、川上は天寿を全うする。93歳の大往生。不滅の9年連続日本一、戦前から高度成長期にかけてプロ野球界に大きな足跡を残した名将に「リーダーとは?」と聞いた。
川上は「監督の器は人間の器だ」とし、「監督は後ろ姿で引っ張っていくようにならないといけない」と説いた。例えば自分の采配をスポーツ紙の評論で批判する牧野茂をコーチに招いたのはトップの器だった。
川上が名参謀で監督の座に就くことも考えた牧野に送った掛け軸がある。明るみにでていない書には筆書きでこうある。
「殺せころせ我が身を殺せ ころし果て何もなきとき 人の師となれ」
おれがおれがで組織はまとまらない。色気、欲をださず、自らの戒めを「無私」の心得とし、純粋に勝負に徹する。これも川上流のリーダー論だろう。
巨人は9月1日のDeNA戦(東京ドーム)で川上生誕100年を記念し、原監督らチーム全員が永久欠番の「16」を着用する。熊本での一戦が新型コロナウイルス感染拡大で中止になっていた。川上ファミリーも見守る。
師弟関係にあるソフトバンク会長の王貞治は「もっともっと川上さんはクローズアップされるべきでしょうね」という。
そう言えば今、球場内では世界的な和太鼓集団「鼓童」のコラボレーション楽曲が流れるようだ。拙者も鼓童とは付き合いが古いもので興味深い。水害で打ちひしがれた故郷人吉にも魂の音が響くことだろう。(敬称略)