水谷実雄「2人の水谷」が生んだ勝負強さ/パ伝説

阪急で83年打点王を獲得した水谷氏は、後に名伯楽としても球史に名を残した(撮影・高野勲)

<復刻パ・リーグ伝説>

バットを顔の前で斜めに構え、投手をにらみつける。水谷実雄氏(72)は独特の打撃フォームから繰り出す勝負強い打撃で一時代を築いた。広島では3度の優勝に貢献して赤ヘル全盛時代を支え、阪急移籍1年目の83年にも打点王を獲得した。引退後は近鉄など、当時の西日本全6球団でコーチを歴任。数多くの強打者を育成し、名伯楽としても球界に大きな足跡を残した。【取材・構成=高野勲】

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水谷氏は広島で、3度の優勝と2度の日本一に貢献。山本浩二、衣笠祥雄、ライトルらと一時代を築いたスラッガーは、一塁守備にやや難があった。パ・リーグを代表する名打者の加藤英司との交換トレードで82年オフ、勇者の一員となった。阪急が一塁に後の3冠王ブーマーを獲得したことから、新天地では指名打者を期待されての移籍だった。

水谷氏 正直なところ、もう守らんで済むとホッとしました。カープも新陳代謝を図りたい、顔ぶれを変えたいという思いがあったと思います。

家族が引っ越してくるまで、いったん兵庫・西宮市の選手寮「集勇館」に仮住まいした。20畳以上ある部屋の畳を打席に見立て、素振りを繰り返した。数日のうちに1枚残らずボロボロになり、球団はすべて取り換える羽目になったという。

投手と相対し、その感覚にデータを加味していく。広島で蓄えてきた知識は、リーグをまたいだ移籍によってご破算に。今度は、持ち前の徹底した探究心をパの好投手たちに向けた。

水谷氏 中でも印象深かったのは、西武の東尾(修)でした。打席に立ってみると、球は別に速くもなんともない。でも顔すれすれに平気で投げてきて、最後は外角へのスライダーで仕留める。本当に怖いのですが、内角球への意識を完全に消して、スライダーに狙いを定める。こういったことの繰り返しでした。

初めて経験する指名打者にも、懸命に対応した。味方が守備についているときも、片時もバットを手から離さず相手投手から絶対に目を切らない。アウトカウント、走者の有無などによって投げてくる球は変わる。これにスコアラーからの報告を加えて、データは初めて意味を持ち始める。

水谷氏 「2人の水谷」がいるんです。例えば遅い球に詰まって凡退したとする。それは相手の球持ちがいいからだ、などと分析する。相手投手を勉強して癖や傾向を覚え、自分に命令を出す水谷がいる。そして実際に打つ水谷がいる。

持ち味の研究熱心さと猛練習は、移籍早々実を結んだ。プロ入り以来初めて全130試合に出場し、114打点でタイトルを獲得。36本塁打も自己最高と、素晴らしいシーズンを送った。

ところが、好事魔多し。移籍2年目の84年開幕戦、3月31日ロッテ戦(西宮)の2打席目に、土屋正勝から左耳を直撃する死球を受けた。スライダーと読んで踏み込んだところ、シュートがまともにぶつかった。鈍い音が辺りに響き、ボールはそのまま真下に落ちた。めまいや吐き気など深刻な後遺症が出て、選手生命の危機に立った。その後シーズン中に入院するなどしたが、かつての打棒は戻らなかった。

水谷氏 しばらくは雨が降る前は耳に違和感が出て、天気予報より当たるくらいでした。あのデッドボールがきっかけとなり、耳当て付きのヘルメットが義務化されたんです。今ではだいぶよくなりましたね。

それでも84年、古巣広島との日本シリーズには1打席だけ立つことができた。10月16日の第3戦(西宮)で、3-8と大量リードを許した9回裏2死、代打で登場。かつての恩師、古葉竹識監督、サード衣笠、センター山本浩を敵に回しバットを構えると、左翼席のカープファンから大歓声が起こる。川口和久に一飛に打ち取られ、最後の打者となった。85年オフ、静かにバットを置いた。

ここから、打撃コーチとして第2の人生が始まる。87年に阪急へ復帰したのを手始めに、近鉄を含む西日本6球団すべてに在籍した。退団すると、すぐに次の球団から声が掛かった。手塩にかけた若手は、続々と大選手に成長した。広島では前田智徳、江藤智、野村謙二郎、近鉄では中村紀洋、ダイエーでは小久保裕紀、井口資仁、松中信彦…。教え子だけで日本代表チームが作れそうだ。

水谷氏 思い出深いのは広島時代の前田ですね。熊本から出てきて、ほとんど物を言わない子でした。今やテレビの解説でしゃべりまくっている。話し方などかなり勉強したんだろうと思います。彼もそうでしたが、打者の成長は素振りの音で分かります。初めは「ブーン」という頼りない音でも、力がつくと「シャリッ」と締まった音に変わってくる。ああ、よくなったなあ、と。

現在は兵庫・宝塚市内で悠々自適の老後を送る。現役時代に投手を凝視した目力や、若手を鍛え上げた鬼コーチの形相はなく、あるのは好々爺(や)の優しい笑顔だった。

◆水谷実雄(みずたに・じつお)1947年(昭22)11月19日生まれ、宮崎県出身。宮崎商から65年ドラフト4位で広島入り。71年外野手としてベストナイン。75年10月15日巨人戦(後楽園)では、広島初優勝のウイニングボールとなる左飛を捕球。78年に首位打者。79年から2年続けて近鉄と対戦した日本シリーズでは、79年優秀選手賞、80年第6戦では満塁本塁打を放つなど連続日本一の立役者となった。83年阪急に移籍後、85年引退。その後は阪急と広島、近鉄、ダイエー、中日、阪神でコーチを歴任。現役時代は180センチ、86キロ。右投げ右打ち。

○…水谷氏が07年から西宮市内で経営しているのが、鶏料理店「鶏処だれやみ」だ。出身地の宮崎で「晩酌」を表す方言から店名を取った。現役時代から愛してやまなかった松山市内の専門店の味を再現。長女の清美さんと、娘婿の鍬田(くわた)一郎さんが店を切り回し、元チームメートや教え子で年中にぎわっている。かつては星野仙一氏(故人)や同僚だった山本浩二氏らも連れだって来店。また、店で水谷氏と会い、号泣する往年のファンもいた。名物はもも肉の「若足」や「親足」。低温の油で時間をかけて蒸し上げ、関西では唯一この店で食べられる味という。元阪神の金本知憲氏や下柳剛氏も好物で、金本氏が8本、下柳氏が10本平らげたことも。

◆鶏処だれやみ 兵庫県西宮市上大市1の11の5 電話0798・51・2998 営業時間は午後5時から午後11時まで。木曜定休。