清原巨人にフラれ涙、中村監督怒/ドラフト回顧録9

巨人から指名を受けず会見で悔し涙を目にためるPL学園・清原和博(1985年11月20日撮影)

<ドラフト回顧録9>

26日に運命のドラフト会議が行われる。悲喜こもごも…数々のドラマを生んできた同会議だが、過去の名場面を「ドラフト回顧録」と題し、当時のドラフト翌日付の紙面から振り返る。

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<85年11月21日付、日刊スポーツ紙面掲載>

PL学園・清原和博内野手(18)の目に涙が浮かんだ。岡田以来の6球団入札……。清原を引き当てたのは、まだ後任監督の決まっていない西武だった。そして小さいころからあこがれ続けていた巨人は、なんとチームメートの桑田を指名したのだ。

大阪・富田林にあるパーフェクトリバティー教団。その敷地内にある第2練習道場に現れた清原。午後0時40分の予定だったが、約10分遅れて高木野球部部長の車に乗ってやってきた。濃紺の制服姿。しかし、表情は硬い。一斉にテレビカメラのライトと、カメラマンのフラッシュが、清原を照らしたが、その表情は最後まで崩れることはなかった。

-西武が交渉権を獲得しましたが、その結果はいつ聞きましたか

清原 授業中に聞きました。

-現在、清原君はどういう心境ですか

清原 ……。

-気持ちの整理はついていますか

清原 いまはついていません。

前夜は午前0時にベッドに入った。それでもさすがに「寝つきが悪かった。どこの球団に指名されるのかと思うと……」。朝はいつも通り午前7時に起床したが、高木部長によると、この日の清原は、いつもの明るさはなかったという。これもある種の“予感”だったのか。

-西武に対するイメージは?

清原 日本一にもなられたし、いいチームだと思っている。

-清原君自身、巨人、阪神に指名してほしいと思っていたが、それがならなかったことについては

清原 いまは何も言えません。

-西武に入るということについてはどうか

清原 これから両親、監督、部長、校長先生と相談して決めたいです。

-プロに入るという気持ちは変わりませんか

清原 ええ、それは変わりません。

-それでは、西武の交渉には応じると受け止めてもいいのか

清原 そこまでは考えていない。

-清原君のプロのユニホーム姿を、楽しみにしているファンも多いが、パ・リーグならノンプロの日生入りと表明していたとか

清原 今は何も考えていない。考えたくないという気持ちです。

-聞きにくい質問だが、清原君が一番望んでいた巨人が、桑田君を指名したことについてはどうか

清原 今は何も考えたくないです。

終始、口を真一文字に結んでいた。顔には明らかに涙が浮かんでいた。18歳の少年は正直だ。あこがれ続けた巨人……。清原は最後まで信じていた。それが指名されなかったばかりか、よりによって、チームメートの桑田を指名するとは……。その気持ちの整理がつかず、清原の目に涙が浮かんだのだ。

その記者会見に心配そうな表情で駆けつけたのが中村監督。清原が涙を流しながら記者会見に応じる姿を後ろから見守ったが、「巨人のやり方には腹立たしい」と、ストレートに表現した。

「僕の所に来られるかどうか分からないが、やはり巨人とはお会いしたくない。清原があれだけ巨人、阪神と希望を言っていたのに……。巨人軍のやり方は嫌ですね。指導してきた私とすれば、清原と桑田が力を合わせて甲子園でやってきて、2人の友情も固い。それを引き裂くような結果になって……。清原も複雑だと思いますよ」。

清原が野球以外で経験した、最初の大きなカベだったろう。そしてその流した涙は夢をかき消されたドラフトへの「無言抵抗」であった。

「さあ来い、西武!」。夕方、室内練習場で、今夏までの主将松山が声をかけた。清原は投手役で、松山が打席に立っている。ニコッと清原が笑った。松山らしい励ましが、うれしかったのだ。記者会見でひとつだけ清原が言葉に力を込めたことがある。「プロ野球には入りたいんです」。それが、精いっぱいの前向きな姿勢だった。

〇…熱望していた巨人、阪神ではなく西武の1位指名権獲得に、清原の両親も動揺を隠せなかった。まず母・弘子さん(45)は、指名直後に富田林市のPL学園応接室で、清原と2人で大声をあげて泣くほど。午後4時から同校第2道場で行われた記者会見でも、「私の気持ちは和博と一緒です。何も言いたくありません」と、巨人が指名してくれなかったショックに、声を震わせていた。

父・洋文さん(48)も、「本人は相当なショックなようです。ドラフトはやり直しがきかぬものですが、いずれにしても(西武と)ゆっくり話をしていかないと……。本人も今はああいう状態ですから、しばらく時間がかかるでしょう」。2人は、夜に清原本人を連れ、岸和田市の自宅に戻ったが、あまりに慌ただしくつらい一日となった。

6分の1の確率で見事恋人清原を引き当てた西武。「大砲として1年生のころからずっとマークしてきた」(根本管理部長)というだけに、すでに獲得した後の青写真さえ描いていた。

根本部長は「即戦力です」とまず断言した。アイドル田淵(現評論家)が抜けて1年、西武は今季の戦いぶりを見るまでもなく大砲の実力と人気を兼ね備えたスター不在をいやというほど思い知らされた。清原はそんなチームの泣きどころをきれいさっぱり振り払ってくれる偉大な存在なのだ。

「誠心誠意を尽くします」と根本部長。金の卵を口説く場合の常とう句ではあるが、西武の場合は、はっきりとその方法を持っている。<1>高校生史上最高の契約金8000万円<2>一塁のポジションを1年目から用意<3>背番号は「1」を準備、以上3点が清原口説きのためにすでに用意の「3種の神器」である。

<1>については西武が2年越しでアタックをかけ、しかも「豪快で明るいチーム作りにピッタリ」(根本部長)と早くもスターとしての扱いを決めているだけに当然の待遇といえよう。<2>はスターを作るためには不可欠なこと。かつて王(現巨人監督)がデビューするときも当時の水原監督が我慢を重ねてずっと使い続けたものだ。10年に1人といわれる逸材をファームでくすぶらせるなどという愚かなまねは絶対にしないという。

西武では現在「1」、「3」、「22」といったスターにふさわしい背番号はすべて空いている、「王さんにあこがれて野球を始め、今でも王さんを尊敬している」という清原は、「1」を望むことも十分ありうるし、その希望もすんなり受け入れることができるわけだ。「3」だと長嶋さん、「22」だと田淵氏とすべて球界を代表する超スターの背番号だ。どれをつけても清原にはふさわしい。

西武を含めたパ・リーグは完全拒否の清原。しかし、根本部長は強気だ。「巨人や阪神しかいかないというのは子供のころの夢が大きく取り上げられただけのこと。プロ野球に入るというのはどこの球団であっても同じということを理解してくれると思う」。かつて工藤や小野といったノンプロ志望の選手を敢然と指名し、いずれも入団にこぎつけた自信がそこにあふれている。「パ・リーグなら日本生命入り」といわれる清原も、西武なら入団させられるはずだ。「見通しは明るい。気持ち良く来ていただく」という根本部長の笑顔は自信に満ちあふれていた。

 

※記録と表記などは当時のもの