藤川強心臓秘話 捕手目立たせるためわざとワンバン

98年、阪神の新人入団発表会見でポーズをとる藤川(前列右端)

<仲間、関係者が語る「球児伝」(1)>

阪神藤川球児投手の引退試合となる10日の巨人戦(甲子園)まで、あと4日。レジェンド右腕の足跡を振り返る「球児伝」(5回連載)の第1回は智弁和歌山監督の中谷仁氏(41)がブレーク前の藤川を語った。右腕がプロ入りする前年の97年ドラフト1位で阪神に入団。初めてバッテリーを組んだ02年のエピソードなど守護神の原点を明かした。

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97年ドラフト1位の中谷氏と翌年1位の藤川。「どうやって1軍行くんやろな」。2軍暮らしが続いた2人はことあるごとに語り合っていた。若手の頃、藤川は先発として期待されていた。打者2巡目まで完璧に抑えても、中盤に1点を失うと、そこから失点が止まらない。思わず本人に聞いた。「なんで?」「1点も3点も一緒や! 1点取られたら切れてまう」。そんな答えが返ってきた。ゼロに抑えている時の集中力は抜群。そんな性格も「守護神」にはまったのかもしれない。04年に中継ぎに本格転向後の藤川は「明日もまたゼロで抑えたろう!」と楽しそうに話していたという。例え1点取られても「もう1回ここから連続無失点やったんねん!」とモチベーションは消えなかった。

入団当初、スライダー習得を目指していた藤川の姿を、中谷氏は今でも覚えている。「曲がらないし、コントロールもバラバラ。ド素人になるんです」。直球はもちろん、カーブの精度は完璧なのに、なぜか突然別人のようになる。反対に「抜き真っすぐ」はいとも簡単に習得した。直球と同じフォームで球速を落とし、打者の打ち気をそぐ。藤川は最初から制球に困ることもなく、ミットまで伸びるように投げていた。「楽天とかで2軍のピッチャーに言っても、なかなか出来ない人が多かった。だからその時から、球児のボディーバランス、真っすぐの投げ方のスキルは高かったんやろうなって思いますね」。火の玉直球を武器にした右腕の意外な一面。「横に曲がる球は投げられなかったというのは、彼の生き方かもしれないですね」と中谷氏は話した。

そんな2人の間には忘れられない思い出がある。中谷氏がプロ初出場を果たした02年8月11日。当時正捕手の矢野(現監督)が死球で骨折。2番手捕手が捕逸を繰り返したことに当時の星野監督が激怒し、突然出番がやってきた。マウンドには旧知の藤川が上がっていて、安心していると、なぜかワンバウンドばかり投げてくる。「緊張してんのかな?」。不思議に思った中谷氏が試合後にたずねると、予想外の答えが返ってきた。「仁さんをアピールさせるためですよ」。中谷の能力を首脳陣に見せるため、藤川はわざと投げていたという。「1軍に定着してないのに余裕あるなあってびっくりしてたんですよ。だからよく覚えてるんですけどね」。マウンド度胸と仲間思いの心。22歳の当時から、大事な要素をもう兼ね備えていた。【磯綾乃】

◆中谷仁(なかたに・じん)1979年(昭54)5月5日、和歌山県生まれ。智弁和歌山2年時の96年選抜大会で準優勝、97年は主将を務め、同校初の夏の甲子園優勝を果たした。同年にドラフト1位で阪神入団。楽天、巨人でもプレー。通算111試合に出場し、4本塁打、17打点。17年春に智弁和歌山のコーチになり、18年8月から監督。19年春夏甲子園に出場し、春は8強、夏は3回戦進出。今春もセンバツ出場が決まっていた。現役時代は捕手。右投げ右打ち。