藤川球児「プロとは一流とは」グラブににじむ生き様

05年、阪神がリーグ優勝したシーズンに使用していたグラブ。「本塁打厳禁」の刺しゅうが施されている(ザナックス社提供)

<仲間、関係者が語る「球児伝」(5)>

阪神藤川球児投手(40)の足跡を振り返る「球児伝」の最終回は、株式会社ザナックス・ベースボール事業部の丸井悠平氏(36)。入社3年目から用具担当として接するうちに、プロとは何か、そして藤川の生き様を学んだ。

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「プロとは、一流とは、というものを球児さんから教えていただいた。球児さんの生き様に、人間として自分の人生に影響を与えてもらいました」。そう振り返る丸井氏が藤川の担当になったのは09年。抑えとして地位を築き、第2回WBCから帰国したばかりの右腕と、入社3年目の若手社員。グラブのサンプルを持参しても「ちょっと違うわ」と何度も返されたこともある。細かく注文するのは簡単だが、それは藤川の無言のメッセージ。どこが違うかを感じて、考えてもらうためのものだった。

担当になってしばらくたった頃。鳴尾浜のロッカールームで、若い育成選手がザナックス社のグラブやスパイクを乱雑に置いていた。「そういう扱い方をさせてるんやったら、おれはもう使わんぞ」。藤川から叱咤(しった)されたのは、丸井氏だった。「背筋が伸びました。ただ用具を提案して、選手が言われたものを届けるだけの仕事じゃないんだなと、すごく気づかせていただいた」。用具を渡した後まで面倒を見て、若い選手には親身にアドバイスをする。選手に踏み込んで接するようになったのも、それからだった。

「1つのグラブをすごく大切にしていただいてます。メーカーとしては最高の選手だと思います」。革製品のグラブは柔らかくなるため、大抵の選手は1シーズンに複数のグラブを使用するなかで、藤川は2年間同じものを使ったこともある。昨季初めに調子が上がらず2軍調整となった時、グラブがしっくりこないと相談を受けた。話を聞いた丸井氏は16年のモデルを提案し、変更することに決めた。「普通はこれと同じ型を作って、となるのですが…」。藤川は16年に使っていたものをそのまま使用。当時の背番号「18」が刺しゅうされたままでもお構いなし。保存状態も良好だった。

11年オールスター出場時のグラブを、丸井氏は印象深く覚えている。東日本大震災について藤川が話す記事を見た丸井氏が「共に立ち上がろう東北!」と刺しゅうを入れた。当日受け取った時は特に何も言わなかったが、テレビの取材中にはメッセージがしっかり見えるように胸の前で持っていた。プロとして発信力の大切さも知っている。

さまざまな刺しゅうが施されてきたが、変わらないのはグラブの中側。大事な家族の名前がずっと入っている。「一人間としてすごくご家族のことを大切にされている。会話の節々から家族があっての自分、というのを感じました」。引退を決めた後には、250セーブ達成に向けてグッズを用意していた丸井氏らをすぐに心配した。そんな人情も藤川の魅力だ。「球児さんのような、いろんな人の思いを背負っていける、芯の通った魅力的なブランドに、ザナックスを育てていかないといけないなと思いました」。たくさんの財産を残しながら、藤川はプロ22年間を駆け抜けた。【磯綾乃】(おわり)

◆丸井悠平(まるい・ゆうへい)1984年(昭59)5月7日、三重県出身。07年に株式会社ザナックスに入社し、09年にベースボール事業部に配属。商品企画、営業、マーケティング、プロ野球やアマチュア野球の販促などを行い、現在まで藤川の用具を担当している。