在阪3球団に所属、加藤伸一1位指名の裏側/パ伝説

現在は社会人・九州三菱自動車でコーチを務める元南海投手の加藤伸一さん

<復刻パ・リーグ伝説>

南海、オリックス、近鉄の在阪3球団すべてに所属したただ1人の投手が、83年ドラフト1位で南海に入団した加藤伸一さん(55)だ。大きなカーブと鋭いシュートを武器に21年間現役を続け92勝を挙げた。その激動の野球人生の中でも在阪3球団時代にスポットを当てて振り返る。【取材・構成=石橋隆雄】

南海時代、加藤さんは西武渡辺久信、日本ハム津野浩と「19歳トリオ」と呼ばれた。55歳になった今もイケメンぶりは健在だ。「南海からは3、4位くらいで指名するという話を聞いていた。それが小野(和義=3球団競合で近鉄へ)の外れ1位。びっくりしましたよ」。倉吉北(鳥取)は当時不祥事続きで公式戦は2年夏の1試合しか登板していない。それでも日本ハム以外の11球団が学校まで足を運び、視察した。「南海のスカウトが便所の個室に入っている時に、他球団のスカウトたちが『加藤は外れ1位で行く』『2位くらいで評価している』という声が聞こえたらしく慌てて変更したそうですよ」と笑いながら1位の裏話をしてくれた。

入団後、河村英文コーチから自身が西鉄での現役時代に武器にし、指導者として西武東尾修にも伝授したシュートを授かった。「僕はグシャと詰まらせて打たせるのが快感。ゴロで1球で仕留める。(ロッテの)落合さんや(阪急の)ブーマーにも、あまり打たれなかった」。当時3冠王の猛者たちの内角も強気にえぐった。「僕のシュートは曲がりが小さく打者の手元でバットの芯を外すんです」。スリークォーターから「今で言えばツーシーム」と話す直球とほぼ同じ腕の振りでボール半個から1個ほど動かした。

「当時の南海は戦力がなかったから」。1年目から33試合に登板。2年目の85年4月6日阪急との開幕戦(西宮)で3番手として9回に登板。翌7日の同カードで先発し、9回117球で4失点。プロ初完投勝利を挙げた。今では考えられない起用。当時の日刊スポーツには「初めから開幕2戦はボクと決まっていたんです。だからきのうリリーフしたあとも河村コーチに“いきます”って」と19歳のコメントが掲載されている。「それは河村さんから『マスコミには自分から投げさせてくださいと言った』と言っておけと言われたから」。言わされたセリフだった。2年目は9勝を挙げ、球宴に初選出された。

「当時の南海は人気がなかった。選ばれたのも山内孝徳さんと2人だけ。キャッチボールする相手もいなくて、壁当てしてました」。88年を最後にダイエーに身売り。球団経営は厳しかった。「ユニホームだけは球団で洗濯してくれるけど、ホームとビジターを一緒に洗うから、ホーム用のアイボリーがグリーンになったり」。ホーム、ビジターそれぞれ年間2着ずつ。退団する先輩たちにお下がりをもらっていた。当時は遠征先の球場で荷物を降ろすのは若手の仕事。「先発の日もさせるので、肩とか肘とか結構それで痛めたこともあった」。2軍の練習時の昼食はいつも即席ラーメン。野菜が具としてちょっと加えられるだけだった。「いろいろ厳しかったですけど、アットホームな南海の雰囲気が好きでしたね。今の選手たちは恵まれ過ぎだとは思うけど、当時はそれが当たり前だと思っていたから」。若き日の思い出は今も色あせない。

○…近鉄がFA選手として獲得した唯一の選手が加藤さんだった。3年契約で、1年目の02年は右肘を痛め2試合で0勝。結局わずか8勝で、04年オフにオリックスとの合併前に戦力外通告を受けて引退。「(監督の)梨田さんには申し訳ないと思っています」。03年6月10日オリックス戦(大阪ドーム=現京セラドーム大阪)では本塁にベースカバーに入り、突入してきたブラウンと激突。殴りかかり大乱闘となり退場処分となった。「試合後、母から『何しとんの』と言われましたよ」。これが両親が鳥取から観戦に来た最後の試合だった。

○…広島で3年プレーした加藤さんは98年オフにチームの若返り策のため自由契約となった。当時巨人などからも誘いがあった。「憧れの巨人ですからね。でも、オリックスとの入団交渉の席に河村さんがいたんです」。南海時代に師と仰いだ河村氏が99年から投手コーチに就任することになり、入団交渉に仰木監督と同席していた。運命の再会でオリックス入りし、3年間で20勝を挙げた。

◆在阪3球団に所属した選手 過去には阪急黄金期に主軸で首位打者2回、打点王3回の加藤英司、主に南海で活躍し59年に首位打者となった杉山光平、阪急で69年に盗塁王を獲得した阪本敏三と野手3人がいる。

◆加藤伸一(かとう・しんいち)1965年(昭40)7月19日生まれ、鳥取県倉吉市出身。倉吉北から83年ドラフト1位で南海に入団し、1年目から1軍で活躍。広島、オリックス、近鉄と4球団で21年間現役生活を送り、通算350試合92勝106敗12セーブ。1764回1/3、防御率4・21。11年からソフトバンクで4年間投手コーチを務めた。181センチ、81キロ。右投げ右打ち。

<取材後記>

加藤さんは野球解説者を務めるだけでなく17年から社会人の九州三菱自動車でコーチを務めている。17年5位で阪神入りした谷川昌希投手(28)にも1年間指導。河村英文さんから教わったシュートを伝えた。谷川は3年目の今季、自己最多の14試合に登板。「あの分厚い阪神のリリーフ陣の中で、大したもの。僕は大きなカーブ、東尾さんはスライダー。谷川にもシュートと合わせてもう1つ変化球を覚えてくれれば。本来は先発タイプだし」とシュートを受け継ぐ右腕に期待した。