沢村ぶれない進化論 32歳で自己最速の真相

色紙に「信念」としるした沢村

ロッテからフリーエージェント(FA)権を行使した沢村拓一投手(32)が、「トレーニング論」を語った。昨季はソフトバンクとのクライマックスシリーズ(CS)第1戦で自己最速の159キロを計測。中大4年時の最速157キロから、10年の時を経て、己の壁を突破した。32歳を迎え、なぜ、球速が上がったのか。現在、大リーグ球団と交渉中の剛腕を直撃した。【取材・構成=久保賢吾】

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沢村は年始からスタートした沖縄での自主トレを打ち上げ、現在は都内近郊を中心にトレーニングを続ける。メジャー移籍か、ロッテ残留か-。勝負する舞台は熟考中だが、野球人としての探求心と向上心は尽きることはないだろう。昨年のCSで自己新の159キロを計測したのは、貫き通した信念と積み重ねた努力の結晶だった。

-32歳で自己最速を2キロ更新した。肉体的には落ちるといわれる年齢だが、常識を覆した。

沢村 僕が20代の時は、周りの方から30代になると体がしんどくなると言われてましたけど、実際にそういう感覚はないですし、逆に31、32歳くらいの方が体をうまく使えてきているなと感じています。30歳近くなって、スピードが落ちてくる投手も見てきていますが、フィジカルは絶対的に必要なんだなと再認識しています。何年も前から考えてきて、結果だけみれば、若いころから積み上げてきたトレーニングなのかなと少しは思います。

-フィジカルの強さは、学生時代から継続するウエートトレーニング(以下ウエート)の成果なのか

沢村 僕は体を大きくしたのは間違ってないと思いますし、自分には合っていたと思います。多くの人がフィジカルは絶対に大事だと分かってるんですけど、日本の風潮といいますか、ウエートに対して、マイナスな目や考えを持つ人の方が多いです。その人のやり方があると思うので、否定はしないですけど、下半身強化=ランニングという考え方は古いですし、ウエートをしたら関節の可動域を狭くするみたいなことを言う人がいますけど、そういう発言を見ると勉強してないんだなと思います。

-若いころは沢村のウエートに関して、周囲から否定的な意見も聞かれた

沢村 今の時代は携帯があれば何でも調べられて、情報が得られます。SNSも普及していて、YouTubeだって見られるのに、自分がやってきたものが全てなんだと感じざるを得ないですし、固定観念の押しつけにすぎないです。知識を得ながら、いろんなことを試してきましたし、その信念は揺るがなかったです。よく「これはどう思いますか?」「ウエートってどうですか?」って言う人がいますけど、まずはやってみたらいいと思います。やってもいないのに否定的な意見を言う人が多いように感じます。

-なぜ、信念が揺らがず、ウエートを継続することができたのか

沢村 どんな社会でも、仕事でも、同じことを5年、10年と続けられるのは才能だと思います。でも、結果に結び付かなかった時にみんな辞めちゃうんですよね。僕は大学生のころから本格的にトレーニングを始めて、1年でも長くやりたいという気持ちでずっと続けてきた。どの社会でもやる人はやるし、やらない人はやらないです。どれだけ促しても。結局は自分で気付かないと。野球選手は個人事業主なので全部、自分に返ってくる。自分で責任を負うんですから、自分がうまくなるためにって考えてやるべきです。

-今、新たなことにチャレンジする子どもたちへメッセージを

沢村 頑張れば報われると言いますけど、頑張れば報われるんじゃなくて、報われるまで頑張るんだって思います。頑張っても頑張っても、報われないこともあります。でも、結果を残してる人間は誰よりも考えてますし、誰よりもやってると思います。遊びほうけて結果を残してる人はいないと思いますから。

 

◆沢村拓一(さわむら・ひろかず)1988年(昭63)4月3日、栃木県栃木市生まれ。佐野日大から中大を経て、10年ドラフト1位で巨人入団。1年目の11年に11勝(5完投)、防御率2・03(セ・リーグ3位)で新人王。15年に配置転換されると、守護神として2年連続35セーブ以上を記録し16年最多セーブ。20年9月に香月一也とのトレードでロッテ移籍。13年WBC、15年プレミア12日本代表。184センチ、102キロ。右投げ右打ち。