南海、ヤクルト、阪神、楽天で監督を務めた野村克也氏が84歳で亡くなってから、11日で1年がたった。名将「ノムラの考え」は、今も教え子たちの胸に深く刻まれている。智弁和歌山監督の中谷仁氏(41)もその1人。阪神時代に掛けられた言葉や楽天時代に学んだことなど、今の指導にも生きる特別秘話を語ってくれた。
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智弁和歌山野球部のロッカーと寮にある本棚には、野村克也氏の著書が10冊近く並ぶ。中谷氏が学生の頃から、そしてプロでの現役時代も読んでいたバイブルだ。「子どもたちにはよく本を読むように言っています。電車の中でも、寝ているより『よく読書しているな』と、思ってもらえたらいいやろうと」。それも「ノムラの教え」。中谷氏が現役の頃、遠征で移動中の選手たちを見た野村氏が言った。「週刊誌の漫画ばっかり読みやがって。古田は経営の本とか読んでるぞ。そういうところから評価が変わってくるんや」。
中谷氏が学生の頃はヤクルト全盛時代。野村氏と古田敦也氏の師弟関係に憧れた。97年ドラフト1位で阪神に入団し、プロ2年目の98年。その「師匠」が監督になった。「野村野球は一言で言ったら、準備野球だ」。キャンプ初日のミーティングは、いつもその話から始まった。キャンプ中は毎日夕食後に、夜間練習ではなく約1時間のミーティング。熱を帯びれば、1時間半に及ぶこともあった。「最初は、基本的には野球の話じゃないんですよ。人間とは、仕事とはとか、どちらかというと思考、考え方、姿勢だったり、そういう部分の話が多かった」。野球の話が始まるのは、中旬の第3クールになってから。人間教育を大事にした野村氏らしい時間だった。
当時、中谷氏は2軍で鍛錬を積んでいた頃。直接話す機会は限られた。初めて2人で会話したのは、中谷氏がアクシデントに襲われた時だった。98年5月末、同僚選手が投げた携帯電話が左目を直撃。野村氏のもとへ報告に行った。「目、アカンのやったら、お前肩強いんやったら、ピッチャーやったら150キロ出るか。150キロ出るんだったら使ってやる」。野村氏の口から出てきたのは、選手としての道を模索してくれる思いがけない提案だった。「はい、なんでもやります」。中谷氏はそのやりとりを今も鮮明に覚えている。
懸命のリハビリを経て、中谷氏は捕手として復帰。経験を積んで06年から楽天に移籍し、再び野村氏のもとでプレーすることになる。試合中のベンチでの定位置は、野村監督のすぐそば。「ここはこういうボールを放っちゃダメなんだよ、とか、ボソっと言ってるのを聞いてたり」。配球はもちろん、野球や試合の流れ、投手や野手のどこを見るのか…。「夢のような時間やったですね」。野村氏の「ボヤキ」を逃さず、問いかけに答えながら、かけがえのない時間を過ごした。
野村氏が直接選手をほめることは、ほとんどなかったという。「50年間プロ野球界におるけど、本当に史上最低のバッターだ、って言われましたね。太いほうが当たるやろ、と」。言われるがまま、削られる前の角材のような太さのバットを持って試合に出たこともある。「09年、少しチャンスを野村さんにいただいて、いろんな試合の中での、叱咤(しった)激励の言葉、厳しいお言葉をもらったことが、もう本当に、自分の財産になっています」。
中谷氏が「最初で最後かな」というほめられた記憶は、ロッテ西岡剛から三振を奪った時だった。当時、大リーグ挑戦前の巧打者をなんとか抑えようと取った策。投手に5球全てカーブを投げさせた。ベンチへ帰ると、野村氏から「おい!」と呼びかけられた。「ナイスリードや。俺も全部、最後もカーブ行ったらええと思ったんや」。投手がいての捕手という役目を知るからこそ、その言葉は深く胸に響いた。「キャッチャーの僕をほめてくれたっていうのは、なんかすごく印象に残ってます」。
12年、現役引退は電話で報告した。「使ってやれなくて悪かったな」。野村氏はつぶやくように言ったという。「これから指導者になっていくにしても、野球界で飯食っていこうと思ったら、本当に人間性と、勉強せなあかんぞ」。第2の人生へ進む教え子への助言も「人間性」だった。
中谷氏は今、全ての経験を惜しみなく子どもたちに伝えている。「僕が試合に出て体現できるプレーヤーではなかったので、蓄えてきたもの、勉強してきたものを今、必要なことをかみ砕いて生徒に伝えてるという感覚です」。もちろん捕手の礎は「ノムラの教え」だ。「大本はノムさん、星野さん、原さんであったり、名将と呼ばれる監督のもとで、勉強してこられたのは本当に財産です」。中谷氏が率いる智弁和歌山の野球には、野村氏をはじめ名将たちの魂が宿っている。【磯綾乃】
◆野村克也(のむら・かつや)1935年(昭10)6月29日、京都府生まれ。京都・峰山高から54年にテスト生として南海入団。ロッテ、西武で80年に引退するまで名捕手として活躍し、歴代2位の657本塁打を記録。65年には2リーグ制後初の3冠王に輝いた。70年から選手兼任監督を8年務め、73年にリーグ優勝。首位打者1度、本塁打王9度、打点王7度。最優秀選手5度。ベストナイン19度。89年野球殿堂入り。ヤクルト監督時代に日本一3度。その後阪神、楽天の監督を務めた。監督通算1565勝は歴代5位。20年2月11日に虚血性心不全のため84歳で死去した。現役時代は175センチ、85キロ。右投げ右打ち。
◆中谷仁(なかたに・じん)1979年(昭54)5月5日、和歌山県生まれ。智弁和歌山2年時の96年センバツで準優勝、97年は主将を務め、同校初の夏の甲子園優勝。同年ドラフト1位で阪神入団。楽天、巨人でもプレー。通算111試合に出場し、打率1割6分2厘、4本塁打、17打点。17年春に智弁和歌山のコーチになり、18年8月から監督。19年春夏甲子園に出場し、春は8強、夏は3回戦進出。現役時代は捕手。右投げ右打ち。