<楽天5-0日本ハム>◇28日◇楽天生命パーク
鋼の信念で一番星をつかんだ。楽天ドラフト1位の早川隆久投手(22)が、プロ初登板、初先発で6回4安打8奪三振無失点と好投。今季の新人最速でプロ初勝利を挙げた。
開幕カードでの新人初登板初勝利は球団史上初。幼少期から培った両親、恩師の教えを土台に、自らの意思と周囲の支えを乗せた。雨中の本拠地で強じんな精神力を披露し、力強く道を切り開いた。
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4回無死満塁、フルカウント。早川が捕手の太田を呼んだ。「大一番で自分の投げたいボールを投げられるかが、勝負のカギ」。選んだ球はカットボール。野村の足元に沈ませ空振り三振を奪った。座右の銘は「平常心」。後続を断っても表情は変えず、強く握った左拳に感情を込めた。
港町の千葉・横芝光町に、7歳上と2歳上の姉の下に“末っ子長男”として生まれた。「人に興味がなさすぎる、とお姉ちゃんによく言われます(苦笑い)。周りに振り回されず、自分勝手な子どもでした」。
小学生時代、地元のマラソン大会で不本意な成績に終わり、母優子さんから「努力しなかったらそれまでの実力だよ」と心をつかまれた。父徳治さんには「真の敵は己の中にあり」を授かった。「努力は、真の敵である自分との闘い」と2人の思いをかみ砕いて人生哲学とし、幼心に労をいとわない姿勢を養った。
上堺小時代は「家から通える」と近所のソフトボールクラブへ。「交通費をかけて硬式のクラブに入るよりは」と横芝中の軟式野球部を選択し、片道8キロの道のりも「トレーニングの一環なので」と自転車で通学した。数ある誘いから「小さい頃から憧れていた」と、はとこが在籍していた木更津総合へ進んだ。節目の選択に意思を持ち、全てをプラスに変えてきた。
高校2年冬に、腰を疲労骨折した。苦しみから独り善がりな行動が目立った時、五島卓道監督から「人のために時間を使いなさい」と諭された。先にランニングが終われば後続を鼓舞し、練習後には野手のティー打撃を手伝った。周囲を思いやる姿勢が、自分のために返ってきた。高校日本代表で戦った仲間たちがプロ入りする中、ぶれずに選択した早大で、積み重ねは花開いた。
大学4年時、主将に就いた。「いい気分で1日が入れるので」と午前6時15分起床で寮1階のトイレを20分ほど掃除。緊急事態宣言中には300メートル×16本、600メートル×8本、坂道ダッシュ&10キロ走の3メニューを日替わりで消化し、最速155キロ左腕の金看板を得た。4年秋のリーグ戦。最終戦の早慶戦で9回に後輩の1発で逆転し、胴上げ投手に。1歩ずつ歩んだ先にプロの世界が待っていた。
左手に両親へ渡したいウイニングボールが輝いた。「この日がやっと迎えられて、自分らしいピッチングができたことは、いろいろな方の支えだと思う。自分を支えてくれた方に感謝しないといけない」。杜(もり)の都に降る小雨に、初々しい笑みが光った。【桑原幹久】
◆早川隆久(はやかわ・たかひさ)1998年(平10)7月6日生まれ、千葉・横芝光町出身。上堺小1年からソフトボールを始め、横芝中では軟式野球部。木更津総合で春、夏3度甲子園に出場し、3年春、夏に8強。早大では4年秋に6勝0敗、防御率0・39でベストナインを獲得。主将としてリーグ優勝に貢献した。20年ドラフトで4球団から指名され楽天に入団。180センチ 、77キロ。左投げ左打ち。
▽楽天石井GM兼監督(早川に) ルーキーという感じの呼び方ではないピッチング、マウンドさばき、しぐさがプロでしっかりと何年かやってるような感じ。落ち着き払って素晴らしいピッチングでした。
▽木更津総合・五島卓道監督(教え子の早川のプロ初勝利に) 本当に立派な投手になったね。もう高校1年の時に外野手をやっていた早川とは全然違いますね。ずうずうしさも彼の持ち味ですからね(笑い)。大学に行ってから、僕らは応援団。これを契機に貪欲に頑張って、プロでお金を稼げるような選手になってほしいね。