<とっておきメモ>
松坂が入団当時、西武を担当した。新人自主トレのキャッチボールの1球目から弾丸ライナーのような投球だった。数日後には捕球の衝撃で練習相手のグラブのひもが切れた。当時、私は芸能担当から野球記者に転じたばかり。プロのすごみを、まだ高校卒業前のルーキーに教えられた。
もう、目が離せなかった。自主トレの体力測定で手を抜いただけで「さすが大物」と1面。キャンプで腹痛なのにピラフを食べても1面。オープン戦で巨人にめった打ちでも平気な顔なので「悔しくないの?」と問うと、「リベンジします」と切り返し1面&流行語大賞。遠征先の甲子園のブルペンで300球も投げ込み。デビュー戦155キロで日本ハム片岡を転倒させた。オープン戦で150キロは1球だけだったのに、ドラマチック!! 初対戦のイチローから3奪三振は1~3面の大騒ぎだ。シーズン終盤、韓国でシドニー五輪予選突破の立役者に。1年目は16勝。出演CMは一気に5本。いつも想定外。松坂大輔は社会現象だった。
ただし、肩肘の不安なく投げていたのはここまでだった。3年連続最多勝で迎えた4年目は開幕から6連勝も、右腕が悲鳴を上げて長期離脱。急仕上げで日本シリーズに「7番・投手」で先発したが、巨人清原に特大弾を浴びた。
5年目のキャンプ、入団から徐々に増していった右腕の不安を、初めて教えてくれた。特に4年目は大量の湿布薬を右腕に塗り込み、熱さでまひさせていたという。オフに肩を休養させ「それまですぐにビュッでしたけど、少し大人になりました(笑い)」と、穏やかに笑った。
その後も日本一、WBC優勝、メジャー移籍と大活躍だったから、痛みが癒えた時期もあっただろう。でも、フォームやボール、マウンドを神経質に気にする姿は、打者よりも自分自身と闘っているように見えた。もう1度、無邪気に「ビュッ」と投げたかったはず。それほど、ルーキー松坂大輔は衝撃的だった。【99~01年西武担当 久我悟】