日本ハム斎藤佑樹投手(33)の引退を知り、感慨深いものが込み上げた。15年前の夏、私は記者なりたて。30歳を前に一大決心。公務員から転職したばかりだった。希望が通り野球記者に。右も、左も分からぬまま、改装前の甲子園球場を走り回った。すると、なぜか1人の高校生が、投げる度に注目を集めていく。ポケットから取り出す青いハンドタオルで汗をふく姿が、朝のワイドショーで取り上げられる。「ハンカチ王子」と愛称が紹介され、「ああ、こうやってヒーローは作られていくんだ」と、マスコミ業界に足を踏み入れたばかりの記者は、妙に感心した。
大会が終わってからも、フィーバーは続いた。国分寺にある学校の前に立った記憶がある。スポーツ紙はもちろん、一般紙、週刊誌の記者もいた。上司に言われ、家族にもコンタクトした。公務員とは全く異なる世界で、今思うと、そうやって仕事のイロハを学んだ。
07年からはプロ野球を担当したため、早大に進んだ彼を取材することはなかった。ただ、11年から担当した楽天で、マー君、佑ちゃんの投げ合いを取材できた。そして、19年からアマチュア担当に戻り、斎藤の母校・早実を再び取材する機会ができている。
引退が発表され、早実・和泉監督と話した。恩師は「彼にとっては、プロの11年間だけじゃない。(06年の)あの優勝から、ずっと走ってきた15年間、16年間だったんじゃないでしょうか」とおもんぱかった。
引退する選手が歩んできた時間を、ファンは自分自身の人生と重ね合わせて思い返す。そうさせるプロ野球選手は、実は限られるのではないだろうか。斎藤佑樹という選手は、そういう存在だった。私も、この15年間を思い返した1人。20代の駆け出し記者が、今は40代半ばで家族もでき、キャップとして若手に指示する立場にもなった。
ものには執着しない方だが、あの夏のスコアブックは、今も大事に取ってある。【古川真弥】