ロッテ鳥谷引退 17年阪神生え抜き選手で2人目の通算2000安打/復刻

阪神対DeNA18回戦 2回裏阪神1死一塁、適時二塁打で通算2000本安打を達成の鳥谷敬は記念のボードを手にヘルメットを上げ声援に応える(2017年9月8日撮影)

ロッテ鳥谷敬内野手(40)が10月31日、現役引退を決断した。移籍2年目の今季は遊撃手最年長開幕スタメンを勝ち取りながら1軍32試合出場で打率1割7分。7月6日に出場選手登録を抹消されてからは2軍で調整を続けていた。阪神16年間、ロッテ2年間で通算2099安打。プロ野球歴代2位の1939試合連続出場も達成したスター遊撃手が、18年間の現役生活に幕を下ろす。

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<17年9月9日付紙面>

阪神鳥谷敬内野手(36)が、8日の阪神DeNA18回戦(甲子園)で史上50人目の2000安打を達成した。14年目での到達は日本人ではプロ野球最速タイ。阪神生え抜きでは1983年(昭58)の藤田平以来2人目、甲子園では球団初の大台達成だ。鼻骨骨折など、何度も重傷を負いながら連続試合出場を続け、1本1本を積み重ねてきた。仲間との絆を力に、昨季の絶不調から完全復活した。

鳥谷コールが鳴りやまない。甲子園右翼席へ、背番号1は照れくさそうにペコリと頭を下げた。そして友が見守っているであろう夜空にヘルメットを掲げた。

「打席に入った時の歓声がすごかった。顔にボールが当たった後、最初に代打で出た時を思い出しました。ファンの方々の声援が後押ししてくれましたね」

2点を追う2回1死一塁。井納のスライダーをライナーで右中間へ。適時二塁打で2000安打を達成した。

「あきらのおかげで、今年もみんなが集まれているよ。ありがとな…」

寒空の元日。鳥谷は墓石に優しく語りかける。埼玉・入間市内の高台。片方には聖望学園の校舎、もう片方には同校野球部の下川崎グラウンドが見渡せる場所に墓は建てられた。

「忘れるわけないよ。もう14年か。早いよな…」

あれは雪が舞う日だった。早大3年生だった03年1月1日。聖望学園野球部の同期、高橋聡(あきら)さんを亡くした。享年21。白血病だった。高校3年夏の埼玉大会はベンチ入りし、同校を甲子園初出場に導いた大切な仲間だった。

「甲子園に出た後の2学期、3年生みんなで集合写真でも撮ろうかとなった。その時、突然『気分が悪い』って言い出してね」

白血病で即入院。出席できなかった卒業式で高橋さんの名前が呼ばれると、野球部全員で「は~い!」と叫んだ。兄弟から骨髄移植を受け1度は退院。1浪で明大に進学し、鳥谷が出場する早大のリーグ戦にも顔を出すようになったが…。再発。現実は残酷だった。

「いいヤツだった。体はゴツいのに、いつも笑って優しくて。うちは夏の県大会中はみんなでスーパー銭湯に寝泊まりしたり、ずっと一緒で仲が良かった。あきらのことも、みんなが好きだったからね」

訃報の翌04年1月1日。阪神1年目スタートの日、鳥谷は聖望学園野球部の同期たちと儀式を始めた。「あきら会」。命日になると毎年必ず、西武鉄道・飯能駅近くの居酒屋に集まり黙とう。直前には各自墓参りに向かい、線香を手向ける。「みんな家族がいるのに今も元日に集まるって、すごいよね」。プロ生活14年。仲間と歩んできた軌跡でもある。

高橋さんは生前、目を輝かせて「トリはすごい! きっとプロで活躍できる!」と両親に自慢していたという。鳥谷は希望の星だった。「だからオレ、頑張らないとね…」。もうかなわぬ夢を託された男は、強い。肋骨(ろっこつ)骨折に腰椎骨折、右脇腹肉離れ、そして今季は鼻骨骨折…。天国から声援をくれる友を思えば、どんな苦境にも屈するわけにはいかない。

絶不調に陥った昨季、遊撃の座を失った。凡フライを落球する場面も1度や2度ではなかった。四方八方から非難される中、目に異変が起きていた。ある方向が見えづらくなっていた。「原因はストレスです」。オフに病院で告げられ絶句した。「鳥谷は終わった」-。巨大な重圧に打ち勝つには練習しかなかった。冬を待たず、昨季終盤から集中的なウエートトレを開始。「体の動きを分解して、いちからやり直した。全部の動きに意味を持たせて」。打撃フォームを突き詰め直し、鳥谷は「不死鳥」のごとくよみがえった。

大台到達。個人記録より喜び涙してくれるファン、仲間の姿がうれしかった。

「同級生、周りの人たち、お世話になった人たちが2000本を待っていてくれた。そういう人たちに伝えたい」

ありがとう-。鳥谷はクールな仮面を少しだけはぎ取り、最後にもう1度頭を下げた。【佐井陽介】