日本ハム監督を10年間務めた栗山英樹氏が退任した。私も就任時から17年まで、担当記者として多くの勉強をさせてもらった。思い出はいろいろあるが、監督最後の日だからこそ、“最初の日”の話を書こうと思う。
今から思えば、初対面のときから、私はその魅力に引き込まれていた。栗山氏が日本ハムの監督に就任することになる11年秋のことだ。日刊スポーツでは「日本ハムの来季新監督に、元ヤクルトの栗山英樹氏が就任することが、分かった」と、正式発表に先んじて報じた。
新聞がコンビニに並ぶ前日、私は都内にある栗山氏の自宅前にいた。報道によって世間を騒がせることになるため、あらかじめ掲載することを伝えたかったからだ。夕方に1度、夕食時を過ぎた頃にもう1度、訪問したが不在。夜も深まり、これ以上は迷惑になると判断し、最後にもう1度インターホンを押したが、この日は最後まで会うことはできなかった。もしかしたら、深夜に帰宅するかもしれない。私は書き置きと、自分の名刺を郵便受けに残し、その場を離れた。
翌日、栗山教授は白鴎大で授業があった。迷惑は承知で、私は大学まで押しかけた。1時間ほど待っただろうか。授業を終えた栗山教授は、関係者に新聞記者が来ていることを伝えられ、私の前にやってきた。ようやくの対面だ。すでに新聞は発行されている。連絡できないまま紙面化となったこと、また大学まで押しかけたことを、謝罪した。
栗山氏は嫌な顔ひとつしなかった。「監督候補に名前を挙げてもらえるのは光栄なこと」とまで言った。報道先行で、正式発表される以前の話。「ごめん! ここまで来てもらったのに、何も話すことはできないんだ。申し訳ない」という言葉も当然だ。「ごめん」と頭を下げられたときの胸の苦しさは、いまでもはっきりと思い出す。
初対面の、まったく知りもしない記者が、自分の仕事場に押しかけてきているにも関わらず、栗山氏はテレビ画面で見たままの柔らかい笑顔で、私と接してくれた。無礼をわび、せめて名前を覚えていただこうと「ごあいさつだけ…」と名刺入れを取り出した。そのときだった。「名刺はもうもらってるよ。本間君。また会うことがあったらよろしくね」。栗山氏のシャツの胸ポケットには、前夜郵便受けに残した私の名刺が入っていた。【08~17年日本ハム担当・本間翼】