立大・道原慧、大学侍へ50m5秒9のスピードでチャンスつかむ

大学代表候補合宿へ意気込む立大・道原(撮影・永野高輔)

駒大苫小牧出身の立大・道原慧(さとる)外野手(3年)が、3日から愛媛・松山で行われる大学日本代表候補強化合宿に初参加する。小6から3年間、米国で暮らし、甲子園出場を目指し中3秋に単身帰国。駒大苫小牧で3年春(18年)のセンバツメンバー入りも、試合前練習で負傷し、聖地ではプレーできずに終わった。東京6大学の名門に進み今春、レギュラー獲得。神宮で開花した50メートル5秒9のスピードスターが、ハーレム・ベースボールウイーク(22年7月開幕予定、オランダ)での代表入りを目指す。

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北海道育ちのイケメン外野手が日の丸を目指す。今春から強豪立大のレギュラーに定着。主に1番中堅で春秋の東京6大学リーグ全20試合に先発出場した。春はチームトップの5盗塁。初戦の法大戦で先頭打者ランニング本塁打を放つなど、38打数12安打で、チーム2位の打率3割1分6厘(本塁打1本)の結果を残した。初の代表候補合宿に向け道原は「選ばれてびっくりした。まずは合宿で自分のスピードをアピールできたら」と意気込んだ。

異色の経歴を持つ。小6から父の仕事の関係で米国シカゴに在住。イリノイ州のクラブチーム「パラタイン・バイパーズ」で米国人選手とともに硬式でプレーした。中3の秋、甲子園に出る夢をかなえるため単身帰国し、仙台の友人の家に下宿しながら中学に通い卒業後、駒大苫小牧に進んだ。「強いチームで成長して甲子園で野球がしたかった」。1年秋からベンチ入りし2年秋に全道制覇。翌春のセンバツ切符獲得までは順調だった。

甲子園メンバーに選ばれたが、目前で悪夢に見舞われた。初戦の静岡戦は7番一塁で先発オーダーに名を連ねるも、試合前ノックで味方の送球が右目下に当たり病院へ緊急搬送。ケガの影響で練習復帰も遅れ、最後の夏はベンチ入りできずに高校野球が終わった。「僕の不注意。でも、このままじゃ終われないと思った。大学で頑張って大きな舞台で活躍したかった」。得意の英語を生かし立大の自由選抜入試に合格。その後、野球部セレクションを受け、入部を許可された。

どん底からはい上がってつかんだ代表入りへのチャンスだ。「好きな言葉は『過去は運命、未来は可能性』。過去は変えられないけど、あのケガを受け入れたから今がある。自分の可能性を突き詰めたい」。真っすぐに、夢へとひた走る。【永野高輔】

◆18年春センバツ2回戦、駒大苫小牧対静岡(3月24日) シートノック中、7番一塁で出場予定だった道原の右目下に味方の送球が直撃し、緊急搬送される。代わりに福岡が7番一塁で出場。1回表に1死一、三塁の好機をつくるも無得点。1回裏の守備では規定に則り先発大西が1球投げてから、三塁舞原と福岡の守備位置を交代。初戦で起きた想定外の事故の中、流れをつかめず0-7敗戦。道原は兵庫県西宮市内の病院で検査を受け外傷性前房(ぜんぼう)出血と診断され、右目下を3針縫った。

◆道原慧(みちはら・さとる)2000年(平12)10月11日、千葉・船橋市生まれ。船橋三咲小1年時に二和タイガースで野球を始める。小6から父の転勤のため3年間、米シカゴで暮らし、中3秋にホフマンエステイツ・プラムグローブ中から仙台吉成中に転校。駒大苫小牧では1年秋の室蘭地区予選からベンチ入り。2年秋に全道優勝。立大では2年春に東京6大学リーグデビュー。今秋は42打数11安打5打点(2割6分2厘)1本塁打1盗塁。好きな選手は阪神近本。家族は両親と姉。右投げ左打ち。遠投110メートル。172センチ、74キロ。