新庄剛志ビッグボスが野村克也さんをしのぶ会参列 阪神で2年間同じユニ

「野村克也をしのぶ会」に参列した日本ハム新庄監督(撮影・鈴木みどり)

南海、ヤクルト、阪神、楽天で指揮を執り、昨年2月11日に84歳で死去した故野村克也さんをしのぶ会が11日、神宮球場で行われた。日本ハムからは新庄剛志監督(49)も出席。BIGBOSSは阪神での現役時代、野村監督と2年間、同じユニホームを着て戦った。

自身がプロ10年目となる99年、野村氏が阪神の監督に就任した。同氏の発案で取り組んだのが投打「二刀流」。外野手と兼務して投手にも挑戦し、実際にオープン戦で2試合に登板した。故障もあって断念することになったが、この年は6月の巨人戦で敬遠球を打ってサヨナラ打にするなど、球史に残る活躍を見せた。型破りな言動から、野村氏には「宇宙人」と呼ばれていた。

翌00年は開幕から4番を任され、キャリアハイとなる28本塁打、85打点の好成績を残し、オフにメジャー挑戦を表明。球団に残留交渉を求めた野村氏は残念がった。「お前は何番だったら野球を真剣にやってくれるんだ?」と問われ、「そりゃ4番ですよ~」と返答したやりとりから4番起用が実現したという裏話も残っている。

BIGBOSSは3年間のメジャー生活を経て、04年に日本ハムで日本球界に復帰。そして現役引退することになる06年に、同じパ・リーグの楽天の監督に、野村氏が就任する。同年8月の対決では、試合終盤に決勝3ランを放ち、日本ハムが楽天に逆転勝ちで10連勝をマーク。野村氏は「彼(新庄)らしい狙い方。カウント2-3から真っすぐはないと思ってフォークを狙い打ちされた。今日は新庄1人にやられた」と脱帽した。

野村氏が亡くなった昨年2月には、インスタグラムで追悼。「新庄お前はファンに愛されるカッコつけて野球をやればええんや 選手に自由に野球をやりなさいって指導したのはお前だけや お前は悔しいくらい可愛いな 最高の言葉有り難うございました。野村克也という人間に野球人生の終了は1パーセントも無い 俺がそっちに行ったら叩き起こすんでそれまでゆっくり寝ててください また会う日まで野村克也監督」と投稿した。また自身が日本ハム監督就任が決まった際にも「大きな空から僕の采配 選手教育を見届けて下さい」と報告していた。