プロ野球選手はこれほど練習するのかと驚かされた。私が中日担当の記者になった当時、山本昌はすでに40歳を超えていた。大ベテランはオフになっても毎日ナゴヤ球場に姿を見せた。「古いパソコンと同じ。電源を落とすと、起動するのに時間がかかるから」。毎日50メートル10本のダッシュメニューは欠かさない。若い選手を見つけると積極的に声を掛けてキャッチボール。50歳で引退するまで変わらなかった。
生まれたときから丈夫な体と強運の持ち主だった。4200グラムと当時の病院記録で誕生した。1歳2カ月のころ、アパートの2階ベランダから4メートル下の地面に転落したことがある。救急搬送され、診断は頭蓋骨骨折だった。頭の形が変わるほどの重傷で、生死の境をさまよった。地面が土だったこと、まだ乳児で頭蓋骨が軟らかかったことが幸いし、九死に一生を得た。
18歳だった山本少年は高校時代に購入した2キロのダンベルを中日の寮に持ち込んだ。そして、7種類のトレーニングメニューを考えてノートに書いた。寝る前に3つだけやる。やったトレーニングに「○」をする。「今日はこれにしよう。明日はこれにしよう。あとはひと言、ふた言、日記を書くだけ」。これと決めたらやり続ける。30年以上使い続けたダンベルが、山本昌を象徴している。
多くの人が手を差し伸べてくれた。「こんな幸せな野球選手いないよ」。ナゴヤ球場裏のベンチでそんな言葉を何度も聞いた。無名の高校生をプロの世界に導いたのは担当スカウトだった高木時夫氏。星野仙一氏にプロの厳しさをたたき込まれた。クビ寸前だった23歳の青年を救ってくれたのは野球留学先のアイク生原氏。96年には初動負荷理論の小山裕史氏に出会った。野球への感謝を忘れない。野球の神様を信じ続けた男は、最後まで手を抜くことはなかった。【桝井聡】
◆山本昌(やまもと・まさ) 本名・山本昌広(やまもと・まさひろ)。1965年(昭40)8月11日生まれ、神奈川県茅ケ崎市出身。日大藤沢から83年ドラフト5位で中日入団。最多勝3度、最優秀防御率1度、最多奪三振1度、ベストナイン2度。94年沢村賞。06年に史上最年長の41歳で無安打無得点。08年通算200勝。15年にプロ野球史上初の50歳での登板、出場を果たし、同年に現役引退。49歳で勝利、45歳での完投、完封といった年長記録のほか、実働29年、23年連続勝利もプロ野球タイ記録。通算219勝は球団史上最多。95年までの登録名は「山本昌広」。現在は野球評論家。左投げ左打ち。