【特集】「5年後に黄金時代」39歳DeNA木村洋太球団社長ってどんな人?

ポーズを決めるDeNA木村球団社長(撮影・小沢裕)

39歳の若さでDeNAのかじを取る木村洋太球団社長とは、一体どんな人物なのか? 今年の仕事始めのあいさつでは、いきなり「M-1でモグライダーも言ってました」と切り出し、美川憲一「さそり座の女」がテーマの漫才ネタの中から「いきなり天に運を任せたらダメ」と引用。5年後に国内で黄金時代、20年後には世界一の球団へ、と壮大なビジョンを公言した。お笑いコンビのネタを使った意図から、DeNA入社の経緯、そして経営者としての青写真-。ざっくばらんに明かした。【取材・構成=久保賢吾】

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「高校時代は文化祭でコントをやったり、お笑いは好きなんですよ。年末は妻と2人で何度もM-1を見るみたいな生活を送ってまして。あの時期は、私の中でモグライダーが印象に残っていたんですよ」

お笑い好きの39歳の球団社長。もちろん、仕事始めでネタを引用した狙いはあった。

「年初の話って、校長先生の朝礼と一緒で堅い話から始めると誰も聞いてないですよね。だから、モグライダーで引っかかりを作って『何か言い出したぞ』みたいな感じで耳に入れてもらえばいいなと。優勝するなら、最後は運も必要になってくると思うので、神頼みはすべきだと思ってるんですけど、いきなり神頼みをしちゃいかんよなと。やるべきことをやって、天に運を任せようよと。そういう姿勢の話をしたかった」

DeNAの球界参入直後の12年にコンサルティング会社から転職。マーケティング部門など事業畑を歩み、経歴だけを見ればお堅い「ザ・ビジネスマン」。疑問がわく。野球はいつから好きですか?

「野球好きの父親に連れられて、最初に横浜スタジアムに来たのは5、6歳の時。優勝した98年はすごかったですよね。スタンドも街も、こんなにベイスターズファンだらけになることって、あったかなと」

プレー経験もある。中学1年で野球部に入部。が、高校1年で身を引いた…。

「残念ながら球技センスがなく、ひどいものでした。高1までやってて、ケガをしてやめちゃったんですけど。小学生の時は運動神経のいい子がみんなやってましたけど、野球をやろうと思ったことはなくて」

観戦熱は高かった。

「中学生の時、1人で青春18切符で鈍行を乗り継いで、甲子園に行ったりしてました。新幹線代は高くて自分で出せないから(笑い)。関西の親の実家に泊めてもらいながら、野球を見に行くっていうのを1週間から10日くらい」

東大大学院生の時の就職活動中は、野球界への就職も考えた。

「ちょうど球界再編があって、野球界もビジネスかと思って、エントリーシートを出したんですけど、『球団社長になりたい』って書いて出したら、レスが来なかったです」

趣味だった野球が仕事になった契機は、新聞広告と交通事故だった。

「DeNAに変わった直後に、たまたまベイスターズの求人を見つけたんです。日経新聞に『球団職員募集』の広告が出てて。これは面白そうと思った」

アクシデントが価値観の転機となり、それは年収が半減しても変わらなかった。

「その年の1月上旬に友達とスノボに行った帰りに交通事故に遭って。車が横転して、『死ぬかも』と思った。そんな経験から、今もらってる給料とかお金よりも、確実に面白いこと、自分がやりたいことをやって生きた方がいいな、と思うようになって。もしかしたらあの事故も、広告を目にすることも神のお導きじゃなかろうかと(笑い)。ヘッドハンティングとかではなくて、自分から勝手に転がりこんだんです」

そこから9年で球団社長に就任。今年の年初、「20年後の世界一」を目標として公言した。

「11月くらいに社内で『20年後の世界一』を共有したんですが、外に出すかを議論した時に外に言えないことを目標にするのって、おかしいよねと。胸を張って、本気で目指してるんだったら、多少ばかにされても言った方がいいんじゃないかと。自分で口にしてしまうと後戻りできないし、責任も生じますから」

さらに掲げた5年後の「国内では黄金時代を目指す」という目標。この“5年”という数字にも意図がある。

「10年ってなるとまだ時間あるよねとなって、本気で強化しなくても間に合うって思ってるうちに過ぎてしまう。10年後に目標を置くといまいち危機感というか、ピンとこない。5年って高いハードルですけど、可能性はあるかなと」

黄金時代からの世界一-。その時求める球団の姿とは?

「プロ野球をやってる以上、勝たずして成功したって言えるかっていうと言えないと思います。ファンの皆さまを含めた盛り上がり的にも、経営的にも結果を残しているし、定期的に勝てるっていうのは、スポーツビジネスで成功と胸を張って言えるために必要だと思います」

DeNAに転職した今、球団社長という自分をどう見ているのか。

「日々、ものすごくエキサイティングなことをやらせてもらってますし、非常に楽しんではいます。ただ、まだ何事も成し遂げられてないなという気がしているので、成し遂げるまでは本当の楽しみは味わえていないのかなと。それの楽しみを見つけるまではやり続けたいと思っています」

運だけで生きるな。頑張らないやつが神社に行ってもしようがない。 byモグライダー

◆木村洋太(きむら・ようた)1982年(昭57)7月3日、神奈川・横浜市生まれ。筑波大駒場高、東大、同大学院工学系研究科航空宇宙工学専攻修士課程を修了し、07年にコンサルティング会社「Bain and Company東京支社」入社。12年3月に横浜DeNAベイスターズに入社した。執行役員、事業本部長、副社長を歴任し21年4月に代表取締役社長に就任した。

◆モグライダー 芝大輔、ともしげが09年に結成したお笑いコンビで、昨年12月に行われた漫才日本一決定戦「M-1グランプリ2021」では8位。DeNA木村球団社長の仕事始めのあいさつで漫才のネタが引用され、ともしげが感謝の言葉をツイートしたことが注目された。

◆DeNA三原一晃球団代表(木村社長について)「論理的思考力は周りを圧倒していて、最適解を導き出すスピードは非常に早い。初めて会ったときと変わらず、付き合いやすい人物です。今は社長という役職ですが、決して偉ぶることがなく、スタッフとも積極的にコミュニケーションをとっている姿をよく見ています」

<取材後記>

DeNA木村球団社長の30分強の取材を録音したボイスメモを文字に起こすと、1万1000字を超えた。記者からの質問に、間髪入れずに自身の考えや経験談を返答。沈黙の心配などは全くなく、端的に、時にジョークも交えながらの“マシンガントーク”に引き寄せられた。

キャンプ視察も、独自の視点を持ちながら現場を回った。2軍の嘉手納キャンプでは、新任の小杉2軍投手コーチの姿に着目。「今まで見なかった光景」とブルペンで直前の投球データを見ながら、感覚的な部分も助言する姿に新時代の到来を感じ取った。就任1年目の昨季は、本拠地横浜スタジアムの試合に足しげく通いながら、スタンドの雰囲気を肌で感じて情報を収集。木村球団社長自らファンに愛されるチーム作りに奔走する。やるべきことをやり尽くすスタイルは「モグライダー」の漫才のネタそのものだ。【久保賢吾】