1984年ロサンゼルス五輪の公開競技だった野球で、日本代表を監督として金メダルに導いた松永怜一(まつなが・れいいち)氏が12日12日午前2時51分、老衰のため、横浜市内の病院で死去した。90歳。北九州市出身。後日、家族葬を行う。
全日本野球協会会長の山中正竹氏(大学、社会人時代に指導を受け)「松永さんがいなければ今日の私はありません。法大で4年、住友金属で10年、松永監督の下で学ばせていただきました。自分にも他人にも厳しく、常にノックバットを握っているような人でした。『ノックができなくなったら指導者の資格はない』と言い、ノックは毎日2時間打ちっぱなし。野球への情熱はすさまじく、ミーティングも平気で2時間はやっていました。大学1年秋のリーグ戦で、早大戦に登板する前週に偵察に行くよう命じられました。ネット裏の最前列で各打者の特徴をまとめ、ミーティングで発表しました。50年以上前にデータ野球の走りのようなことをやっていました。松永さんのおかげで大学通算48勝を挙げることができました。ユニホームの尻ポケットにはいつもメモ帳を入れて、何かあると書き込んでいました。ただ厳しいだけじゃなく、誰も追いつけないほどの情熱を持って学び続けていました。天国でもノックをしていると思います。ご冥福をお祈りします」