【中西太】西武球団5000勝!タイトル獲得はおやじのおかげ 名将三原脩監督に感謝/特別手記

関口清治(右端)は西鉄時代、強力打線の中核を担った。左から大下弘、豊田泰光、中西太という豪華な並び。西日本時代の50年、長崎の空に大きなアーチをかけた=1958年

<オリックス-西武>◇28日◇京セラドーム大阪

西武の球団通算5000勝到達に、前身西鉄で「野武士軍団」の中心選手だった中西太氏(89=日刊スポーツ評論家)が特別手記を寄せた。

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西鉄ライオンズの黄金期を築いたのは、名将三原脩監督(義父)でした。「二刀流」の先駆けで“三原魔術”と称された采配に導かれた我々は、新聞記者に「野武士軍団」とネーミングされました。

わたしは1952年(昭27)に入団し、54年に初優勝を遂げました。南海ホークスと名勝負を演じ、日本シリーズで巨人を下して3連覇を達成。水原巨人と三原西鉄は“巌流島の戦い”と話題になったものです。

「流線型打線」の顔ぶれは、高倉、豊田、中西、大下、関口、河野、仰木、和田、稲尾でした。神様、仏様、稲尾様といわれた稲尾のすごさは、個人成績を上げると同時に、チームを勝たせたことにありました。

わたしが新人王、本塁打王(5回)、首位打者(2回)、打点王(3回)、MVPなどを獲得できたのもおやじ(三原監督)に育てられたおかげです。豪放なイメージとは裏腹に、実は緻密で繊細、ソツがないのが西鉄野球でした。

博多の熱い土地柄もあってか、あれほどファンを熱狂させたチームはいまだかつてないと思います。そのDNAを継承する西武ライオンズには、常に強いチームであってほしいと願っています。

 

▽西武辻監督(中西太さんについて)「本当に雲の上の人。西鉄ライオンズの中心選手で憧れの人でもあった。(指導を受けたヤクルトで)バッティングのことを褒められたこともあり、うれしかったです」