【ヤクルト】3冠王バースから3冠王村上宗隆へ「若いこの時期にすでに技術を持っている」

オンライン取材に応じるバース氏

<村神様の衝撃(1)>

日刊スポーツでは3冠王を獲得したヤクルト村上宗隆内野手(22)を緊急連載で深掘りする。初回はプロ野球歴代5位の54本塁打を放ち、2度の3冠王に輝いた元阪神のランディ・バース氏(68)が、米オクラホマ州の自宅からオンライン取材に応じた。85年から2年連続で3冠王に輝き、セ・リーグではそれ以来の3冠達成となった村上を祝福。自身の阪神時代を振り返り比較しながら、村上のすごさ、将来の可能性などについて語った。【聞き手=水次祥子】

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3冠王おめでとう。素晴らしいことだと思う。少し前に彼の成績を見て、本塁打と打点に関してはもう誰も追いつけないだろうと思っていた。

3冠のタイトルで一番難しいのは打率だ。私も本塁打は誰よりも打てたし打点も稼げたが、3割4分、5分を打てる選手は他にもいる。競った状況が続く中、本塁打を量産しているとシーズン終盤では勝負を避けられることが増えるので、打撃の調子を維持するのも難しい。歩かされることが、10打席連続かというくらいのときもあったと思う。

ムラカミとは面識がないがビデオを見て、56本塁打を放ったことも納得だった。彼は左翼にも中堅にも右翼にも打つことができる。ほとんどのホームランバッターは引っ張り中心なので、広角に大きい当たりを飛ばせるのは、何よりも大きな強みだ。彼のすごさは、まだ若いこの時期にすでにその技術を持っている、それを新たに習得する必要がないということだ。

これだけのホームランバッターが日本から出てきたことには、私は驚いていない。なぜなら、本塁打を打つのに筋骨隆々である必要はないからだ。打ち方を知っている打者が、多くの本塁打を打てる。だから彼が56本塁打を記録したことにも、まったく驚いていない。素晴らしい数字を残したことに、私も喜んでいる。

私自身は阪神時代に広角に打つことを覚え、それが成功の鍵になった。来日した当初は苦労したよ。オープン戦は成績にカウントされないから相手投手が打てる球を投げてきたが、開幕すると全然違った。最初は打てずに苦しんだが、生まれ変わることができたのは、コーチと二人三脚で重ねてきた打撃練習だった。

甲子園球場で毎日、3球ずつの広角打ちの練習に取り組んだ。左翼方向へ3球打ったら、次は中堅方向へ3球、そして右翼方向へ3球と繰り返し、速球だけでなくカーブ、フォークボール、チェンジアップとあらゆる球を打った。ただ打つだけでなく、とにかくフェアゾーンに打球を飛ばすこと、ファウルを打たないことを意識して練習した。反復練習をすることで、うまく打てたときの感触を筋肉と腕に覚えさせた。逆方向へでもどこでも強い打球を飛ばせる技術を習得できたのは、私の場合はまさに努力の結晶だった。

甲子園は広いし、強い風が吹いているので、本塁打を打つのが難しい球場だと思う。風は大抵、ライトからレフトへ吹くので、左中間方向へ本塁打が打てるのは有利だった。(甲子園で3打席連続本塁打を放った)ムラカミも、その点は私と同じだと思う。

これからどんな打者になっていくのか。彼が望むなら、間違いなく米国のメジャーリーグでプレーすることができると思う。二刀流で大活躍しているオオタニは非常に速く鋭いスイングを持った素晴らしい打者だが、ムラカミも広角に本塁打を打てる技術があれば、活躍できるよ。日本人で次に成功する打者になれる。

最後に、日本のファンにメッセージ。コロナ禍になって日本にしばらく行けず、恋しく思っているよ。実は私自身も最近、コロナに感染し、症状は特になかったが、10日ほど療養していた。もっと落ち着いた状況になったらまた日本へ行き、関西の阪神ファンに会いたいね。日本でプレーしたことで私の人生は変わった。今でも一番忘れられないのは、85年4月17日、甲子園球場での巨人戦で私と掛布、岡田によるバックスクリーン3連発だ。信じられないほどの、最高の瞬間だったよ。

◆ランディ・バース 1954年3月13日、米国オクラホマ州ロートン生まれ。ロートン高から72年ドラフト7巡目でツインズ入団。77年メジャーデビュー。83年阪神入団。85年は3冠王に輝き、21年ぶりのリーグVに貢献してMVP。翌86年も連続で3冠王となり、同年の打率3割8分9厘はプロ野球記録。ベストナイン3度。88年途中に長男の病気で帰国し、そのまま退団。引退後はオクラホマ州の上院議員を務めた。現役時代は184センチ、95キロ。右投げ左打ち。