<プロ野球ドラフト会議>◇20日
日体大の投打二刀流・矢沢宏太投手(4年=藤嶺藤沢)は、1位指名を公表していた日本ハムが交渉権を得た。高校時代もドラフト候補に挙がったが、指名漏れを経験。その日から4年。家族の思いも背負って奮闘を続けた男は、目標の「ドラフト1位」を実現させた。
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指名後、家族への感謝を口にした。「一番近くでお世話になったお母さんに、ありがとうと言いたいです」。ボールに手書きで“ありがとう”と記すと、母に手渡し。受け取った香さん(46)は両目から大粒の涙を流した。
日本ハム新庄監督がほれ込む俊足の持ち主。そのルーツは幼少期にある。香さんは振り返る。「小さい頃、家族4人で家の周りを鬼ごっこしていたんです。休みの日は公園に行くのではなくて、家の周りをひたすら走っていた。もちろん父も。その影響もあるのかもしれませんね」。現在の体脂肪は8%。抜群の身体能力の礎は、家族とともに作りあげた。
4年前のドラフト会議では、自らの名前が呼ばれることはなかった。会議終了後、東京都町田市の自宅へ車で帰宅中のことだった。進学の場合は日体大を希望していた矢沢が、ぼそっとつぶやいた。「本当に日体大でいいのかな」。指名漏れの結果に、未来が不安になっていた。同乗していた母、父の明夫さん、姉の咲来さんは口々に言葉をかけた。「日体大はアスリートの集まりだし、すごい人たが集まってる。体を鍛えながら、ドラフト1位を目指せばいいんじゃない」。矢沢は前を向き、目標を4年後に再設定した。
それから2カ月後のことだった。12月13日、父・明夫さんが亡くなった。心臓発作だった。救急車で搬送される前、ソファに横たわる父の姿を見ていた矢沢だが、今でも実感がないという。「その分、母や姉、おばあちゃんが支えてくれた。その人たちのためにも頑張ろうと」。日体大での4年間は、自らの夢だけでなく、家族の思いも背負っていた。
努力の末に目標を達成した今、父に伝えたいことがある。「やっと夢がかないました、これからも見守っていて欲しい」。プロの世界でも、家族のために奮闘を続ける。【阿部泰斉】
○…日体大・矢沢の単独1位指名に成功した日本ハム新庄監督は「もう最高でしょ!」。既に二刀流左腕の起用法を「外野のポジションからマウンドへ行って、1、2人投げて(外野へ)戻ってもらう」と思い描く。矢沢が背番号1にこだわりがあると聞き「そしたら…『1』あげたいねえ」と笑顔も、すぐに「でも」と訂正。チーム内では新庄監督の背番号継承を巡り、競争が続いていることから「まずは自分のポジションをつかんで来年活躍したら渡します」と、話した。