中日OBで日刊スポーツ評論家の権藤博氏(84)が亡くなった杉下茂さんを悼んだ。中日のエースナンバー20番を引き継ぎ、その後も監督と選手として指導を受けた。
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私が60年に中日と入団契約を交わした時の監督が杉下さんでした。ドラゴンズと言えば杉下さん。歴史をつくった人です。入団が決まった直後に監督を退任され、デビューした61年から偉大な背番号「20」を引き継ぐことになったのですが、永久欠番になるべきものを背負うことで、強い使命感が生まれたことを今も鮮明に覚えています。
肩を壊し、野手に転向していた私にもう1度、投手をやれと言われたのも杉下さんでした。68年のキャンプイン直前に西沢監督が辞任、杉下さんが監督に復帰されたのです。内野手としてのスローイングを見た杉下さんは「やっぱりおまえはピッチャーだろう」と言われました。プレーヤーとして決着をつけたかった私にチャンスをくれたのです。4月に現役最後の勝利を手にしました。再び肩が悲鳴をあげ、69年に引退することになりましたが、現役生活にケジメをつけさせてくれたのが杉下さんでした。
フォークの神様と言われたのが杉下さんでした。監督に復帰され、打撃投手で投げていただいたときに見たそのボールには声も手も出ませんでした。アゴがグイッ突き出て、体は向かってきます。腕は出てきません。気がつくと手元でボールが消えている。そりゃあ打てません。まさに魔球でした。
最後にお会いしたのは19年1月。私の野球殿堂入り通知式でゲストスピーカーを務めてくださったのも杉下さんでした。私の野球人生の節目、節目で寄り添っていただきました。本当にありがとうございました。(日刊スポーツ評論家)