【悼む】杉下茂さん、神様ならではの持論「『抜けたフォーク』という言い方はおかしいでしょ」

51年7月、名古屋時代の杉下さん

<悼む>

「フォークボールの神様」と呼ばれた元中日投手の杉下茂(すぎした・しげる)さんが死去したことが16日、分かった。97歳。50年から6年連続20勝を記録するなど通算215勝をマークした大投手で、中日、阪神で監督も務めた。

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何年前だろう。杉下さんに厳しく言われたことがある。東京ドームの試合前、食堂で雑談している最中だった。「君ね。『抜けたフォーク』という言い方はおかしいでしょ。指の間から抜いて投げるボールなんだから」。東京は神田の生まれ。威勢のいい江戸っ子は笑顔ながら、あいまいな表現を許さなかった。

恩師の天知俊一氏から、握り方だけを教わり、壁を相手に投げ続けて自分のものにした。揺れながら落ちたといわれる。このフォークを見せつけ、1954年(昭29)の日本シリーズを制した。「僕のことを“フォークボールの”というけど、ほとんど投げてないから。1試合で10球なかった。あのシリーズだけですよ。自分でも、どこへ行くか分からない。そんなボールをあてにできますか」。

まっすぐにこだわった。そこで大失敗したことがある。56年、巨人樋笠一夫に史上初の「代打逆転満塁サヨナラ本塁打」を浴びた。苦手の変化球ではなく速球を投げた。「相手が待ってる球を投げて三振に取る。それがピッチャーじゃないですか」。

中指と人さし指をV字に開くとボールが「素通り」した。中指は見た目で、私より5センチ以上長かった。後輩の後藤晃吾氏(元明大投手コーチ)は身長も体形もほぼ同じ。「ジャージーとかよくお下がりをもらいました。でもゴルフの手袋は合わなかったなあ」。通算200勝目の相手は、巨人馬場(のちのジャイアント馬場)だった。「レスラーになった彼がテレビ番組で話していたんですよ。私は記憶になかったんだけど」。自分よりも大きい相手はこの試合だけだったろう。

数年前、都内のホテルで話を聞く機会があった。館内の喫茶室に入ろうとすると「ここは高いよ。静かな店が向こうにあるから」。突然の依頼にも、やさしかった。「もっと(フォークを)投げていれば、もっと勝てたかね」。取材後、こういったのを思い出した。【米谷輝昭】