【ソフトバンク】「幻の史上最強」天理の中心で活躍 ビビった?PL学園が練習試合断り/藤もと亭

天理高時代の思い出を振り返る藤本監督(撮影・冨田成美)

<藤もと亭>

ソフトバンク藤本博史監督(59)がざっくばらんに本音で語る企画「藤もと亭」の第5回は「幻の天理史上最強チーム」です。2年生4番の藤本が率いた奈良・天理高校は1980年(昭55)夏の甲子園でベスト4に進出。でも史上最強と呼ばれた翌年は、部内の不祥事で地方大会にも出場できませんでした。今夏も熱戦を展開中の甲子園大会にちなみ、藤本監督が約40年前の球児時代を回顧しました。【取材・構成=只松憲】

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1980年。天理の2年生スラッガー藤本博史は、夏の甲子園大会を沸かせた球児だった。

藤本監督 下馬評では「A」「B」「C」のうち、天理は「C」評価だった。それでも2年主体のチームでベスト4に行ったんだよね。僕は17打数9安打で打率5割2分9厘か…。素晴らしいですねぇ。え? 失策3つ? おう…。それがどうしたんや(笑い)。

準決勝の天理はスタメン7人が2年生だった。

藤本監督 準決勝は愛甲猛さんが率いる横浜だった。今でも鮮明に覚えてるよ。雨がすごくて、泥んこですよ。いつ中止や降雨コールドになってもおかしくなかった。先制したけど、7回に僕のエラーから3点取られて負けた。僕は4番でよく打っていたので、多くの取材を受けていた。それだけにあのエラーのことを聞かれてね。「エラーはエラーです」って、それだけ言ったのも覚えている。

天理の甲子園初優勝は6年後の86年夏。当時はまだ優勝経験がなかった。

藤本監督 2年の春まではそんなに注目されてなかった。主将と副主将以外は2年生がレギュラー。甲子園で結果を出せば自信になって、一回り大きくなるんじゃないかな。下馬評は「C」でたまたま勝ち上がったかもしれないけど、甲子園で実力がついた。みんな自信を持ってグラウンドに立ってた感じがあったね。

夏が終わり、秋に藤本を中心にした新チームが結成された。

藤本監督 当然、新チームは強かった。秋の近畿大会ではチーム打率が5割ぐらい。ほぼコールドやったもんね。奈良決勝も智弁学園を圧倒して勝った。当時、翌年のセンバツで優勝するPL学園と秋に定期戦をやってたんだけど、PL学園の方から「今、天理高校と練習試合をしたら選手が自信をなくすので、今回の定期戦はやめましょう」と断りの電話があったというほど。僕の代で初めて定期戦が中止になった。代わりと言ってはなんだけど、翌年の夏で優勝する報徳学園と練習試合をしました。

報徳学園には、81年ドラフト1位で近鉄に入団する同い年の金村義明がいた。

藤本監督 2試合やって、2試合とも10点以上取って天理が勝った。金村が投げた時も打った。本当に天理は強かった。僕が打つとか打たないじゃない。本当にいい選手がたくさんいたんです。ピッチャーも右腕の小山昌男(81年近鉄ドラフト2位)、左腕の川本和宏(81年南海ドラフト6位)と2枚看板がしっかりいました。

3年春夏はともに優勝候補だったが、部内の不祥事で謹慎処分を受けて出場停止に。春はPL学園が、夏は報徳学園が優勝した。

藤本監督 報徳の金村がよく「天理さんがおらんから優勝できた」っていうよね(笑い)。まぁ優勝できるかは相手がいることだけど、天理は強かった。1つ下の学年には、早稲田実業の荒木大輔がいて「西の天理」「東の早実」とも呼ばれていた。「幻の天理史上最強チーム」とよく言われたし、それは間違ってなかったと思う。PLとは試合をしたことがなかったけど、報徳には練習試合で勝ってたから、出場できてたら「優勝できとったんかな」と思ったのも事実です。

不完全燃焼で終わった高校野球。今、思うことは?

藤本監督 悔しいのは悔しいけど、(2年次に)甲子園に出たからね。天理には勉強もしに行ったけど、甲子園も目指してたわけですから。そういう意味では第1目標は達成したかなって。甲子園は本当に人を育てる球場。人を変えてくれる球場でもある。だって下馬評が「C」評価のチームが甲子園で勝って、かなり力をつけていったのを体験したからね。「こんなに俺たちは強かった?」と思うぐらいの実力になった。人を育てる、力をつけさせてくれる。甲子園はそんな魅力がある場所でした。

◆藤もと亭 98年の現役引退後に福岡市中央区平尾で開業した居酒屋。正式名称は「うまいもんや 藤もと亭」。藤本監督がオーナーを務め、新鮮な魚料理や野菜など季節にあわせたメニューが人気だった。「元プロ野球選手の気さくな店主がいる」と話題になり、多くの野球ファンが集った。11年からソフトバンクの2軍打撃コーチに就任するため、10年12月で閉業。