【中日】立浪監督が背番号3の先輩、中利夫氏追悼「良い形で引き継いでもらえるよう精進します」

中日・立浪和義監督(2023年10月4日撮影)

中日で外野手として活躍し、監督も務めた中利夫(なか・としお)さんが10日に死去したことを受け14日、中日立浪和義監督(54)らが追悼のコメントを発表した。

現役時代に中さんと同じ背番号「3」を背負った立浪監督は「最近はお会いしていなかったのですが、ユニホームを着る前に解説の仕事でお会いしたときには『いつもお元気ですね』と声をかけさせていただいていたので、突然のことで驚いています。ドラゴンズの先輩というだけでなく中さんは背番号3の偉大な先輩でもあるのでとても残念です。『3』の背番号をこれからも良い形で後輩に引き継いでもらえるように私も精進していきます。心からご冥福をお祈りいたします」と球団を通じ追悼。吉川球団社長も「小学生の時に中日球場(現ナゴヤ球場)でみた背番号3の活躍を今でも覚えています。高木守道さんとの1、2番コンビは最高でした。謹んでご冥福をお祈りいたします」とつづった。

中さんは10日に誤嚥(ごえん)性肺炎のため名古屋市内の病院で死去。87歳だった。55年に群馬・前橋高から中日入り。60年には50盗塁で盗塁王、67年には打率3割4分3厘で首位打者を獲得した。高木守道との1、2番コンビは、他球団の脅威となった。通算81三塁打は現在もセ・リーグ最多と、俊足巧打の外野手として一時代を築いた。72年引退。通算1877試合出場で1820安打、139本塁打、541打点、打率2割7分7厘、347盗塁。ベストナイン5度。

引退後はコーチに転じ、78年から3年間監督を務めた。小松辰雄を抑えに抜てきし、快速球投手に育てるなど手腕を発揮。79年には新人王となる藤沢公也の活躍もあり、3位ながら優勝の広島を追い詰めた。監督通算157勝204敗29分け、勝率4割3分5厘。また87~90年には広島のコーチや2軍監督を歴任。同球団のOB以外では、異例の起用となった。

◆中利夫(なか・としお)1936年(昭11)4月28日生まれ、群馬県出身。前橋高では、東大受験と迷った末にプロ入り。60年盗塁王、67年首位打者。中日一筋でプレーし72年引退。現役時代の登録名は64年「三夫」65年以降は「暁生」。通算1820安打は球団7位、347盗塁は同3位。引退後は中日コーチや監督、広島でもコーチを務めた。現役時代は168センチ、73キロ。左投げ左打ち。